退職金を見込んで住宅ローンを組んでいたりする人は多いだろう。

しかし、その退職金は想定通りの額がもらえるか予測が難しい。

司法書士・太田垣章子さんの著書『あなたが独りで倒れて困ること30 1億「総おひとりさま時代」を生き抜くヒント』(ポプラ社)では、思うような金額の退職金をもらえず、老後に家を失ってしまう可能性が大きくなってしまった夫婦の事例を取り上げている。

持ち家だとしても賃貸だとしても“終のすみか”を老後に探すのは大変だ。この事例から退職前に考えておきたいことについて、一部抜粋・再編集して紹介する。

今は簡単に「売却」も決められない

長期にわたって、ローンを支払い続けて購入する住宅。一昔前、終身雇用の時代なら不安もなかったのでしょうが、今の時代には、住宅の購入もそう簡単に決断できるものではありません。

払えなければ売却してしまえばいい、そんな考え方もあるかもしれませんが、それも不動産価格が右肩上がりになっていなければ難しい話です。さらにそのように高く売れる物件を探し出すには、それなりの審美眼も求められます。

不動産業界では「千三つ」と言って、お宝物件は1000件のうち3件くらいと言われるほど少ないものです。

それ以外に損をしない物件があるのは、もともと物件自体が高額で、値が下がることはないと太鼓判を押されるエリアのものです。ただ一般人が億を超える物件を、そう簡単に購入することはできません。

そのため簡単に「売却すればいい」とはならないのです。

ローン残高以上の価格で売却できなければ、足りない分を補塡(ほてん)しなければなりません。頭金が少なめで購入してしまうと、大半は売却予定金額よりローン残高が高いために、売るに売れない、そのような状況になってしまいます。

「家はあるけどお金がない」人の増加

夫婦共働きでそれぞれがマックスの負担で住宅ローンを組んだものの、途中で離婚や、子育てにお金がかかった、リストラにあったなどで、家を手放さざるを得なくなった人たちを私はこれまでたくさん見てきました。

何十年もずっと同じ額の年収を得続けられる人って、少ないと思います。子どもたちの学費や物価の上昇で、結果、生活が苦しくなることもあります。コロナ禍のように、想定外のことも起こります。

そんな中での長期ローンは、そもそも無理があるのかもしれません。

それでも支払いに困窮する中で、物件を手放せる人は、まだ幸せです。そういう人は、お身内からの援助を得られたり、親身になってくれる不動産会社の方とめぐり会えたり、運強く買主を引き寄せられたりしたから手放せたのです。

そういう人は本当にラッキーとしか言いようがありません。

退職金も予想していた額が支給されなくなってきている(画像:イメージ)
退職金も予想していた額が支給されなくなってきている(画像:イメージ)
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不動産を購入した時にしていた支払いの計算が狂った!という事態は、特に退職金をもらう時に起こるようです。長年勤めあげて、退職する際にもらえる退職金ですが、時代とともにその額も下がってきています。

退職金でローンの残りを完済して、年金で生活する、これが以前の日本のサラリーマンの老後の道筋でした。でも近年、退職金は思っていたように支給されなくなり、年金受給もどんどん先送りになっています。

もともとの道筋が、今は崩れてしまったので「家はあるけど現金がない!」という方が増えました。

70歳過ぎの父親が毎月旅行に行き出した

英雄さん(仮名・43歳)は、親の自宅でこの問題にぶち当たりました。

どうも親のお金の使い方がおかしい…そう感じたのは、父親が70歳を過ぎた頃からでした。いつまで旅行に行けるか分からないと、1泊2日の温泉旅行に毎月のように行き出したのです。

英雄さんのお父さんは真面目に働いてきましたが、有名な大きな会社を勤めあげたわけではありません。退職金だって支給されたのかどうも、怪しいものです。

昔から母親は事あるごとに「お金がない」と愚痴っていたくらいです。だから急に羽振りが良くなったような気がして、心配になったのです。

でも親子でお金の話は、なかなかしにくいもの。

「放っておいてくれ!お前に迷惑かけん」

そう怒鳴られてしまうと、もうそれ以上何も言えなくなってしまいました。本当におかしいと気が付いたのは、それから半年くらい経ったGWのことです。

毎年この頃にくる固定資産税の納付書に、母親は「何でもかんでも税金ばっかりで」そう必ずぼやいていました。ところがその年は、何も言わないのです。

おかしい…。いつもお金がない、税金が高い、そう文句ばかり言っていた母親が、固定資産税のことを聞かれても黙っているだなんて、おかしすぎます。

「母さん、父さんと母さんのお金だから、僕は何も言わないよ。でもちょっとおかしいでしょう?何がどうなっているの?」

高齢の親が将来的に住まいをなくす事態に

困った顔をした母親が、絞り出すような声で言いました。

「家は売ったから。お父さんに言うなって言われていて…」

英雄さんは、母親の言葉にがく然としました。言葉の意味が理解できず、困った顔をして英雄さんを止めようとする母親の手を振り切って、リビングにいる父親に向かいます。

「母さんから聞いたぞ。家、売却したって、どういうことだよ?」
「お前には関係ない!」
「関係ないことないだろ?家族なんだぞ。売却したって何でもいいけど、相談くらいしてくれたっていいじゃないか」
「…」
「俺たち家族だろう?」

英雄さんの言葉に、父親も観念したようです。

「テレビで宣伝してたんだよ。誰にも知られずに、家を売却しても住み続けられるって」

「リースバック」してしばらく住み続けられても…(画像:イメージ)
「リースバック」してしばらく住み続けられても…(画像:イメージ)

最近いたるところで目にする「リースバック」というものでした。

これは不動産を売却して、名義は買主に変更の登記をして、もともとの持ち主はそのまま買主と賃貸借契約を締結して、賃料を払って住み続けるというものです。

ただ一般的に、買ったものは売却したり自分で使ったりができないため、売買代金は通常より安め、家賃を払ってもらえなくなるリスクもあるので、賃料は高めに設定されます。

「いったいいくらで売却したの…」

父親が口にした売買代金は、素人の英雄さんでも相場よりかなり低いと感じる金額です。すぐにネットで調べると、近隣の売り物件より、ざっと3割は安いようでした。

「今は毎月賃料払っているんだろ?いくら払ってるんだ?」

英雄さんは15万円くらい払っているのかな、と予想していると、それのまだ上をいく19万円だと言います。相場からいえば、高くても12万円もしないはずです。

毎月19万円払えば、1年で230万円ほどの出費です。安価で売却したので、あと10年もしないうちに売却代金の方も大半はなくなってしまいます。

72歳と69歳の夫婦なので、平均寿命どころかそれより早い段階で住む場所をなくす計算になります。

“終のすみか”は現役世代のうちに考える

いつもは強気な父親が、英雄さんに詰め寄られて、ずっと下を向いたままです。これは責めてはいけない…、きっと相談できなくて、困っていたんだ、そう思いました。

英雄さんが何も言わないので、父親はぽつりぽつり当時のことをしゃべり始めました。

「定年になって、退職金も思ったように出なくて、住宅ローンを完済するには足りなかった。しかも年金だって、65歳からしかもらえない。もともと貯金は1000万円もなかった。年金をもらうまでに、貯金はどんどん減っていってしまう。

母さんと引っ越しも考えたんだが、家を買う金もないから賃貸しか選択肢はない。でも貸してもらえねえんだよ。どうしよう…って思っていたら、リースバックというのを知って。電話したら営業マンが来てくれて、いろいろ説明を受けたんだが、よく分からんのよ。

ただとにかく引っ越しせずにこの家に住んでいられるし、もうローンのことも考えずに済む。お金も入ってくるから、今まで頑張って生きてきたんだ、温泉くらい行っても罰あたるまいと思って」

相談しなかったのは、英雄さんに家の経済が全て知られてしまうことを避けたかったからです。

それに、この年齢になって少しは旅行もしたい。全てを話してしまえば、そんな些細な楽しみも奪われる気がしたとも言います。

老後に住む場所の検討は現役世代のうちに(画像:イメージ)
老後に住む場所の検討は現役世代のうちに(画像:イメージ)

じっくり考えれば、あっという間に家計が破綻してしまうことは分かるはずです。でも70歳を超えると、長期的な目線で物事を考えられないのかな…。英雄さんはそう感じました。

広い視野で総合的に判断する、しっかりしているようでも、高齢になるとそんな判断能力が低下するということを目の当たりにしました。

結局、仕事を退職した後も、住宅ローンが残ってしまったことが、いちばんの敗因でした。そして既に退職してしまっていたので、部屋を借りることもできなかったのです。

でも一般的に住宅ローンは35年で組まれます。途中で繰り上げ返済すればいい、と思うかもしれませんが、実際に繰り上げ返済をどんどんできるのは極一部の人たちではないでしょうか。

マックスで借りてしまうと、毎月の返済に追われてしまい、結果として退職後もローンが残っているという状況になるのでしょう。

自分のローン残高がいくらなのか、即答できる方は、そういないと思います。

家を借りるなら、ぎりぎり現役世代じゃないとダメなんだ、ということも英雄さんは知りました。自分の時には、50代で人生の後半戦の作戦会議が必要だ!それが分かっただけでも良しとしよう、そう考えないと居ても立っても居られませんでした。

住む場所の検討は現役世代の間に、リアタイしてからでは遅すぎるということです。

『あなたが独りで倒れて困ること30 1億「総おひとりさま時代」を生き抜くヒント』(ポプラ社)

太田垣章子
OAG司法書士法人 代表司法書士。これまで延べ3000件近く家賃滞納者の明け渡し訴訟手続きを受託してきた賃貸トラブル解決のパイオニア的存在。著書に『2000人の大家さんを救った司法書士が教える 賃貸トラブルを防ぐ・解決する安心ガイド』(日本実業出版社)、『家賃滞納という貧困』『老後に住める家がない!』『不動産大異変』(すべてポプラ社新著)などがある

太田垣章子
太田垣章子

OAG司法書士法人 代表司法書士。これまで延べ3000件近くの家賃滞納者の明け渡し訴訟手続きを受託してきた賃貸トラブル解決のパイオニア的存在。住まいという観点から「人生100年時代における家族に頼らないおひとりさま終活」支援にも活動の場を広げている。また「現代ビジネス」をはじめ各種媒体に寄稿、「日経xwoman」のアンバサダーに就任するなど、情報発信にも力を入れている。さらに、家主および不動産管理会社向けに「賃貸トラブル対策」や、おひとりさま・高齢者に向けて「終活」に関する講演も行っている。著書に『2000人の大家さんを救った司法書士が教える賃貸トラブルを防ぐ・解決する安心ガイド』(日本実業出版社)、『家賃滞納という貧困』『老後に住める家がない!』『不動産大異変』(すべてポプラ社)、共著に『家族に頼らない おひとりさまの終活』(ビジネス教育出版社)がある