「自分たちにとって納得のいく最期の過ごし方やその選択をするためには正しい知識が必要」

そう語るのは在宅医の中村明澄さん。在宅緩和ケア充実診療所「向日葵クリニック」(千葉県八千代市)で訪問診療を行っている。

在宅医歴11年の中村さんは、1000人を超える患者を看取り、「できるだけおうちで過ごしたい」という患者の希望に応えられるように努めてきた。

「最期は家で」と願った人たちはどのような最期を過ごしたのか。

自分らしい生き方や最期の過ごし方を見つける機会となる著書『在宅医が伝えたい「幸せな最期」を過ごすために大切な21のこと』(講談社+α新書)から一部抜粋・再編集して紹介する。

人生の最終段階に近づくほど医療的な正解がなくなってくる

病気や怪我をしたら病院に行き、そこで医師が出した方針に従って治療を受けることは、みなさんがごく自然な流れとして受け止めてきた医療との向き合い方だと思います。

ところが人生のある時期に差し掛かると、たとえ同じ病気であっても、医師が出した方針に従うのではなく、医療者と一緒に方針を考える段階に変わってきます。

例えば、肺炎と診断され、医師から「入院して治療したほうがいい」と言われた場合。

もし40~50代でしたら、基本的には医師のすすめに従って入院すると思います。しかし、これが80代、90代の高齢者となるとどうでしょうか。

人によっては入院がベストとは限らない(画像:イメージ)
人によっては入院がベストとは限らない(画像:イメージ)
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入院した場合、仮に肺炎が治っても、入院によって足腰が弱って寝たきりになる可能性もあります。本人のその後の人生を考えると、入院がベストの選択と言えるのか、難しくなってきます。

つまり、人生の最終段階が近づくほどに、「絶対にこの選択がいい」という医療的な正解がなくなってくるのです。

医師から「どうしたいですか?」と意見を求められるようになるのは、このように医療的な正解が一つではなくなってきた時です。

これまで医師が決めた方針に沿うのが当たり前としてきた多くの人は、「先生はなぜ突然、こちらに意見を求めるのだろう?」と戸惑うかもしれません。

しかし正解がないからこそ、自分たちで選択して決めていくことが大切になってくるのです。そして、ひいてはそれが、納得のいく最期につながってくると感じています。

親、自分の場合で考えたときどんな選択をする?

さてあなたに質問です。

あなたのお父さんが90歳だとして、2日前から痰(たん)と咳(せき)の症状が出ているとします。そして今朝から食事をまったくとることができず、38.7度の発熱があって寝込んでいます。

こんな時、あなたならどれを選択しますか。

(1)救急車を呼ぶ
(2)病院に連れて行く
(3)診療所に連れて行く
(4)往診を頼む
(5)もう少し様子を見る

ここであなたが選択した答えに、医療的な正解はなく、どの答えもあなたにとっての正解になります。

もうひとつ質問です。

今と同じ質問で、対象があなたのお父さんではなく、「あなた自身が90歳だったら」どうしてほしいでしょうか。

先ほどのお父さんの時に選んだ答えと違う答えを選んだ方もいるのではないでしょうか。

同じ状況であっても、対象が変わることで、選択は変わってきます。もちろん、ここで選択した答えにも、医療的な正解はありません。

講演会などでこの質問をすると、どの選択肢にも手が挙がりますし、2つの質問で答えが変わる方もいますが、それでいいのです。

大切なのは「自分の価値観に合わせた選択」

年齢や生活スタイルや性格、もともとの健康状態や持病の有無などによっても、何を選ぶかが変わってきます。

発熱という状態をひとつとっても、自分と親という対象や、年齢や状況によっても答えが変わってきます。

ですから医療的な正解がひとつでなくなった時は、それぞれの価値観に合わせて選択したものが、それぞれにとっての正解になります。

この「自分の価値観に合わせて選択する」ということこそ、幸せな最期を考える上で大切なことです。それが、後から「こんなはずじゃなかった」と後悔しないことにつながります。

時折、患者さんや家族が「私たちでは決められないので、先生が決めてください」とおっしゃることがあります。

「自分たちがどうしたいか」が幸せな最期を決める上で大切(画像:イメージ)
「自分たちがどうしたいか」が幸せな最期を決める上で大切(画像:イメージ)

しかし私たち医療者は、患者さんや家族が何か迷った時に選択肢を提示して一緒に考えることはできても、意思そのものを決定することはできません。

どこでどう過ごすか、何をどこまでやるかという判断は、本人や家族が自分たちの価値観と照らし合わせ、「自分たちがどうしたいか」という視点で決めることなのです。

例えば、あなたがもし「余命三カ月」と言われたら、どうでしょうか。

考えたくないことかもしれませんが、この問いを考えることで、自分にとって何が大事なのかが自ずと見えてくるはずです。

自分がこれからどう生きたいか、大切な人とどう関わっていきたいか、老後はどう過ごしたいか。広く自分の今後について考えてみていただきたいと思います。

生き方も“逝き方”も自分らしく 

「生き方も“逝き方”も自分らしく」というのは、私が考える幸せな最期のあり方です。

これまで数多くの看取りをしてきて思うのは、幸せな最期は、自分らしい“逝き方”を選ぶことで訪れるように感じています。

幸せな人生の最終段階を過ごすために、考えておきたいことが、大きく分けて3つあります。

それは人生の最終段階を迎えた時の、

(1)過ごす場所
(2)やってもらいたいこと(医療や介護)
(3)やりたいこと(夢)

の3つです。

まず(1)の最期を過ごす場所には、自宅、施設、病院という選択肢があります。

メリット、デメリットがそれぞれありますが、まずは過ごす場所に選択肢があり、それを選択できる可能性があることを知っていることがとても大切です。

なぜなら「本当は家で過ごしたい」と願いながら入院している人が、「望めば家に帰ることができる」という選択肢を知らないままに、病院で亡くなってしまうようなことを見てきたからです。

このように選択肢を知らないがために希望が叶わないというのは、とても悲しいことです。

(2)の受けたい医療や介護も同じです。例えば胃ろうなどの延命治療は、一度開始すると途中でやめることが簡単にはできません。

ですから「とりあえず」と安易に開始することは避け、正しい情報をもとに、きちんと考えて納得のいく選択をすることが大切です。

また、受けたい医療や介護を考えることで、過ごしたい場所が変わってくることもあるでしょう。

そして(3)のやりたいことについては、「やる時期」が大切です。

病気によっては、たとえ余命1カ月であっても、一見元気に、少し調子が優れない程度に見える場合があります。

すると、「もう少し体調が良くなってからにしよう」とやりたいことを先送りにしてしまいがちです。ですが実際は、その後に病状が進んで動けなくなってくるため、結果的にやりたいことができず、望みを叶えられるチャンスを逃してしまうことがあるのです。

そうならないために、正しい情報を知って選択してほしいと心から願います。

『在宅医が伝えたい「幸せな最期」を過ごすために大切な21のこと』(講談社+α新書)

中村明澄
医療法人社団澄乃会理事長。
向日葵クリニック院長。緩和医療専門医・在宅医療専門医・家庭医療専門医。

中村明澄
中村明澄

医療法人社団澄乃会理事長。向日葵クリニック院長。緩和医療専門医・在宅医療専門医・家庭医療専門医。
2000年に東京女子医科大学卒業。山村の医療を学びに行った学生時代に初めて在宅医療に触れる。病気がありながらも自宅で生活を続けられる可能性に感激し在宅医療を志す。
11年より在宅医療に従事し、12年8月に千葉市のクリニックを承継。17年11月に千葉県八千代市に向日葵クリニックとして移転。向日葵ナースステーション(訪問看護ステーション)・メディカルホームKuKuru(緩和ケアの専門施設)を併設し、地域の高齢者医療と緩和ケアに力を注いでいる。病院、特別支援学校、高齢者の福祉施設などで、ミュージカルの上演を通して楽しい時間を届けるNPO法人「キャトル・リーフ」理事用としても活躍。