8月23日、パリ五輪・柔道日本代表の男子73キロ級に浜松市出身・橋本壮市 選手が内定した。過去2大会はいずれも五輪にはたどり着けなかったが、31歳最後の日に夢舞台への切符を初めて手にした。

中高時代は世代トップクラスの実績

浜松市中区出身の橋本壮市 選手。得意技は“橋本スペシャル”と称される片手で繰り出す袖釣込腰だ。

柔道は6歳から始め、小学6年生まで地元の道場「育誠館」で腕を磨くと、中学からは親元を離れ東海大相模中・高に進学。中学時代は2年生の時に全国中学校柔道大会で3位、3年生で準優勝、高校時代は3年時にインターハイで個人・団体の2冠を達成するなど、その実績は輝かしい。

幼少期の橋本壮市 選手
幼少期の橋本壮市 選手
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ただ、そんな橋本選手でも“日の丸”は遠かった。

ケガを乗り越え復活 世界でも輝き

東海大時代はケガに苦しみ、輝きを取り戻したのは社会人になってから。2015年には全日本選抜柔道体重別選手権、全日本実業柔道個人選手権、講道館杯全日本柔道体重別選手権の国内3大会を制覇。しかし、2016年に開催されたリオ五輪の代表争いでは同学年の大野将平 選手が立ちはだかった。

育誠館の後輩たちと
育誠館の後輩たちと

それでも、2016年4月のアジア選手権から国際大会7連勝を飾ると世界ランキングを1位とし、初めて“日の丸”を背負った世界柔道選手権(ハンガリー・ブダペスト)でも勢いそのままに初優勝を果たした。

失意の落選 ライバルとの対決ないまま

迎えた2020年2月。東京五輪の代表の座を手にしたのは、またしても大野選手だった。橋本選手は当時、世界ランキング1位。大野選手と直接対決することなく内定が決まってしまったことについて、自身のSNSに「今の気持ちは正直言うと直接対決したい。自信があるから。オリンピックで優勝できる自信があるから本当に悔しい」(原文まま)と胸の内を吐露した。

育誠館・杉山館長と談笑する橋本選手
育誠館・杉山館長と談笑する橋本選手

一方で「年齢も年齢だし、いつまで柔道出来るか分からないが、まだまだ強くなれると思うし世界の人が『橋本壮市』を待っている。と連絡をくれる。応援して下さる方々が沢山いる。そんな人達にもっと自分の柔道観てもらえるように来週から覚悟決めて、自分の道を歩んでいきます」(原文まま)と綴った。

誕生日プレゼントは五輪出場切符

あれから3年半。2023年5月の世界柔道選手権(カタール・ドーハ)で3位、8月上旬に行われた世界ランキングの上位者で争われるワールドマスターズ(ハンガリー・ブダペスト)で優勝を果たすなど直近2年の実績が評価され、パリ五輪の柔道日本代表に内定した。8月24日が誕生日の橋本選手にとって、31歳最後の日につかんだ初の五輪出場切符だ。静岡県勢にとってもパリ五輪に内定した最初の選手となる。

五輪内定の電話連絡を受ける橋本選手
五輪内定の電話連絡を受ける橋本選手

橋本選手が柔道の礎を築いた「育誠館」の杉山崇 館長は「粘って粘って頑張って頑張ってつかんだチャンスなので本当にすばらしい。尊敬できる教え子」と褒めたたえ「自分の柔道をしっかりやれば自然と結果は付いてくる」と地元・浜松から激励した。道場の後輩たちも「壮市選手を尊敬しているのでパリ五輪に出られてすごくうれしい」「五輪では育誠館全員が応援しているので“橋本スペシャル”で表彰台に立って終わって頑張って来て下さい」とエールを送った。

エールを送る育誠館の後輩たち
エールを送る育誠館の後輩たち

また、我が子の吉報に父・圭右さんは涙を流し、母・美喜恵さんも「つらいとか苦しいとか今まで一度も言ってきたことがないから余計に…」と感極まった。

橋本選手の父・圭右さんと母・美喜恵さん
橋本選手の父・圭右さんと母・美喜恵さん

五輪内定を受けて橋本選手は「金メダルしか目指していない。ありのままの自分を畳の上で表現したい」と意気込んだ。

1年後のパリで“橋本スペシャル”がさく裂する日が待ち遠しい。

(テレビ静岡)

テレビ静岡
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