戦後3番目の死者を出した福井地震から75年がたった。「背中を押されたよう。ゴロゴロ転がった」と体験談を話すのは、震源地近くで被災した男性だ。地震発生時は「まず命を守る行動を」と私たちに訴える。

未曽有の揺れで地割れが

福井地震の震源地とされるのは、坂井市丸岡町末政。

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国内の科学者でつくる日本学術会議の発表に基づき、その場所には今、石標が立っている。ただ、調査機関によって発表データに差異があり、丸岡町内には震源地とされる場所が複数存在している。

中林亮一さん(82)
中林亮一さん(82)

大きな被害の出たエリアの1つ、丸岡町西部に位置する長崎地区。ここに暮らす中林亮一さん(82)は7歳の時に被災した。福井空襲・終戦から3年たった戦後の混乱期で、食べ物が少ない時代。学校から帰り、友達と畑になったキュウリを食べていた時に、未曽有の揺れを体験した。

中林亮一さん:
天気はどんより、蒸し蒸ししていた。覚えているのはこの辺がずっと地割れ。縦にビビビッと。割れた道路に下に人が落ちて、裂け目が閉まり、人が消えたという話もある。狭くなった後も深さ1~1.5メートルの裂け目が残り、その中に入って遊んでいたら親に怒られた

「田んぼが海のように…」

発生は75年前の1948年6月28日午後4時13分で、震度は当時最大の6を観測した。

福井県内では約3万5,000戸が全壊、福井市内の全壊率は8割を占めた。死者は3,728人で、2011年の東日本大震災、1995年の阪神・淡路大震災に次ぐ、戦後3番目の多さだ。軟弱地盤で発生したことから揺れは大規模なものとなり、広範囲にわたって被害が出た。

中林亮一さん:
誰かに背中を押されたような感じ。バンと倒れて、ゴロゴロ転がされた。その時に周囲の家が倒れていくのが見えた。倒壊しなかった家は一軒もなかったと思う

震災時、母親は田んぼで作業をしていた。地震後に再会した母親は泥だらけで「田んぼが海のように波打っていた」と話していたという。妹は倒壊した家の下敷きになる寸前で、母親が助け出した。

福井市にいた父親は、橋の崩落などで帰宅する手段がなくなり、3日かけて徒歩で帰ってきた。

中林亮一さん:
春江方面は機屋(はたや)が多く、ずっと燃えて夜は真っ赤だった。丸岡のまち中も。あっちもこっちも真っ赤

中林さんは不安におびえながら、竹やぶで一夜を過ごした。

日頃から危機意識を

地震を直接体験した中林さんは、発生時の行動についてこう呼びかける。

中林亮一さん:
自分が大丈夫なようにまず逃げる。外に出ることで安全を確保してほしい。はだしでも逃げる。家の中にいたら終わり、一瞬のうちにバシッとつぶれる。福井地震の時、家は30秒ももたなかったと思う

首都直下地震や南海トラフ地震など、国内のいたる所で地震発生のリスクは高まっている。日頃から危機意識を高く持つことが、命を救う最善の方法だと強調する。

中林亮一さん:
とにかく命だけを。持っていくモノはどうでもいい。自分が助かった後に、助かっていない人救い出す。自分が助からないと、何もできない。心構えと日頃の考え方を常に持っていないといざという時に間に合わない

(福井テレビ)

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