東日本大震災から12年。福島県浪江町は浜通り(沿岸部)の北部に位置し、海、山、川に囲まれた豊かな自然と食の宝庫として有名だった。しかし福島第一原発事故のためすべての町民が避難を余儀なくされ、一部地域で避難指示が解除されたいまも多くの住民は戻らないままだ。この浪江町に2年前、東京都内から移住し、まちづくりにチャレンジする元外交官を取材した。

「浪江の魅力は人です」と元外交官は答えた
高橋大就さんは外務省を経て、外資系コンサルで働いている際に東日本大震災が起こった。そこで東北を支援しようと食の産業復興に取り組んでいた高橋さんは、原発事故でゴーストタウンと化した福島の姿を見て「一番大変な帰還困難区域を素通りして行く自分に、人生としてけじめがつかない」と感じ2021年4月に浪江町に移住。現在一般社団法人NoMAラボの代表理事として浪江のまちづくりに参画している。

浪江町で高橋さんに会うと、これから筆者を車で町案内するという。高橋さんが運転する車の中で、筆者は最初に「浪江町の魅力は何ですか」と聞いてみた。すると高橋さんは「浪江の魅力は人ですよ」と語り始めた。
「豊かな自然や美味しい食、歴史や産業もありますけど、震災後も前向きでオープンで、チャレンジを後押しする住民の気質がすごいですね。そこが一番魅力だと思います」
住民全員”マイノリティ”を経験した浪江町
浪江町の居住人口は現在約2千人。震災前は2万人以上が住んでいたが原発事故で全町避難となり一時住民はゼロとなった。そして2017年から一部地域で避難指示が解除されたが、いまだ多くの区域が帰還できないままだ。2021年に行われた調査では、「戻らないと決めている」と答えた住民が半数以上を占めた。しかし高橋さんのように「ゼロイチのこの地でチャレンジしよう」と移住してくる人もいる。

高橋さんは「浪江では地元vs移住者という対立はありません」という。
「全町避難になったことで町民すべてが避難民としてマイノリティになりました。全員マイノリティを経験した人たちで構成されるコミュニティなんて、たぶん日本には存在しないですよね。住民はその経験を乗り越えて本当にポジティブですし、他所からくる人間に寛容です。だから『町のためになるなら』と私のような移住者も受け入れてくれます」
原発事故の住民への影響は単純に語れない
高橋さんは帰還困難区域へ車を走らせた。住居の周りはバリケードが張られ、崩れたままの建物も見える。高橋さんはある方向を指していう。
「ここは特定復興再生拠点区域で間もなく避難指示が解除されるので、いま一気に除染と解体が進んでいます。更地がどんどん広がっていて、まちのイメージがだいぶ変わりました。浪江の人は帰還してもここがどこだかわからないかもしれませんね」

そして道を隔てると、そこには帰還困難区域が広がっている。
「帰還できる人とできない人に、この道を隔てて分かれるわけです。また、帰還困難区域に指定されるかどうかで補償金も違ってきます。本当に線引き一つで人生が変わってしまうということです。とにかく原発事故の住民への影響は単純には語れないのです」(高橋さん)

高付加価値の農業へ”星降る”実験農場
高橋さんは見渡す限り太陽光パネルが並んでいる場所にくると車を止めた。そして「ここはもともと農地だったんです」と渋い表情で語り始めた。
「太陽光パネルを否定するつもりはありませんが、こうやって農業を諦めるとこの先何十年も農地には戻らなくなります。ですからここを農地のままにするためには、売電する以上の収益を農作物で上げなければなりません。この状況がいいとか悪いとか言っても仕方なくて、だから私も当事者として高付加価値の農作物をつくるのです」

帰還困難区域から町の中心部に戻ってくると、高橋さんが企画した「なみえ星降る農園」に到着した。ここではにんにくのほか、オリーブやゴルゴ(ビーツの1種)、ジュニパーベリー(ジンのスパイス)など東北では見慣れない野菜やフルーツを実験的に育てている。

さらに筆者が驚いたのは、この畑ではヒトデがまかれていることだ。ヒトデは土壌改良とイノシシなどの鳥獣対策に効果があるという。高橋さんは「先ほど見たソーラーパネルを超えるような、高付加価値の農業を生み出すための実験農場です」と語る。

アートとオンラインで土地の記憶をつなぐ
そして町の中心部では高橋さんが手がけたアートプロジェクト、巨大な壁画アートの展示が行われている。アートのテーマは「住民が残したい町の記憶と創りたい町の姿」だ。制作は知的障がいのある作家が描いたアートを、社会に送り出す企業「ヘラルボニー」が行っている。なぜ過去と未来がテーマなのか?高橋さんは「土地の記憶や歴史を大切にしたいから」という。

さらに先月高橋さんは、浪江町の歴史と記憶を子どもたちが追体験できるオンラインエンターテインメントを制作した。ここでも大切にしているのは「土地の記憶」だ。
「エンターテインメントの仕掛けを織り込むことで、浪江出身の子どもたちに楽しみながら故郷に関心を持ってもらえればと。また、外から町に来る人にも浪江の記憶が繋がっていければと思います」

当事者となって現場から変えていく
最後に高橋さんに「浪江をどんなまちにしたいですか?」と聞いてみた。すると「日本で一番住民が幸せなまちですね」と答えが返ってきた。
「皆が自分らしく生きられて、まちづくりを自分事としている。大きいものに依存しないコミュニティが作れたら最高です」
高橋さんはいま「ラストチャンス感がある」という。
「原発事故という歴史的な悲劇が起きたのに、日本の社会構造は12年かかってもこれしか変われなかった。だからコミュニティづくりの当事者となって、現場から変えていきます」
高橋さんはNFTを使った浪江のまちづくりを構想中だ。

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】