岩手県大船渡市の商店街に佇む趣ある鉄筋コンクリート造りの建物。かつての気仙銀行盛支店だったこの歴史的建造物が、「STAY BANK SANRIKU」という名前で新たな命を吹き込まれた。8月4日にプレオープンを迎えたこの施設には、東日本大震災の津波で被災したピアノが展示され、訪れる人々に14年前の記憶を静かに語りかける。その施設を運営する新藤典子さん(58)の思いと取り組みを取材した。
津波の傷跡を残すピアノたち
七夕まつりの季節を迎えた大船渡市の商店街。趣ある鉄筋コンクリート造りの建物が佇んでいる。
かつて気仙銀行盛支店だったこの建造物は、2025年で築100年を迎える歴史的な建物だ。

8月4日、プレオープンの準備に追われる女性の姿があった。「STAY BANK SANRIKU」を運営する新藤典子さん(58)だ。
カフェ開設などに向けて震災後、調理師免許を取得した新藤さんは、「フルーツがいっぱい入ったサングリアとここで焙煎しているアイスコーヒー、ホットはドリップコーヒーがお出しできます」と話す。

カフェスペースの隣に展示されているのは、震災の津波にのまれた6台の被災ピアノだ。多くが泥にまみれ、さびが見られたりと、津波の痕跡を今も留めている。

これらは小中学校の解体で行き場を失った際、新藤さんが私費を投じて引き取ったものだ。

「自分の家賃や自分の引っ越し費用よりもとても費用のかかるものだけど、これは将来的に必ず震災を伝えるための重要な資料になると信念を持ってやってきた」と新藤さんは語る。
震災の記憶を残す決意
被災ピアノなどを展示するため、2025年で築100年を迎えるこの建物を、新藤さんは2022年に取得した。
クラウドファンディングで300万円を集め、料理人として働いて資金を稼ぎながら改修を進めてきた。

「前職が私は歴史的建造物を活用するプランナーだったので、たまたま出会ったのがこの建物で、ウェブサイトで写真を見た瞬間に決めていた」と語る新藤さん。
以前、東京で建築関係の仕事をしていた新藤さんは、震災後に岩手県に移住。国道の復旧を記録する活動をしながら、被災した公共物を集めてきた。

そこで出会ったのが、各地の小中学校の被災ピアノだった。それぞれに行政による処分が検討されていた中で、新藤さんは引き取りを申し出た。

新藤典子さん:
行政側に頼るのではもう残せないと痛感して、自分が死んだとしても、その後に場所が残って中のものが保存されれば 次の方に引き継げる。そういう覚悟を持ってこの場所を本日開きました。
被災の痕跡を残す展示
被災ピアノは本来の機能を失っている。
展示されているピアノの一つ、宮城県石巻市立大川中学校のピアノについて、新藤さんは「黄色いヘドロにまかれたまま保存することにした。指先で触れると音と一緒にザラザラ感が伝わります」と説明する。

誰でも被災ピアノに触れられるこの施設では、震災を感じ取ってもらおうと6台のうち5台はそのままの状態で保存されている。
一方、1台だけは宮城県のピアノ販売店に修復を依頼していた。釜石市立唐丹小学校のピアノだ。震災の翌年、住民の協力を得て運び出されたものだという。

新藤さんは「全ての鍵盤が塩で固まっていて、何一つ押せないし弾けない。何も音が出ない状態だったので、この一つだけを直すことにする唯一のピアノと決めた経緯がある」と語る。
よみがえる音色、伝わる思い
このプロジェクトの支援者などが集まったプレオープンのセレモニーでは、震災後全く音が出なくなっていた唐丹小学校のピアノで演奏会が開かれた。
盛岡市在住のピアニストが、チェロを趣味とする復興に携わってきた建築家とともに、バッハ作曲の「G線上のアリア」を奏でた。

さらに陸前高田市のピアニストも演奏を披露、優しくも力強い音色を響かせた。
演奏会の後には訪れた人がそれぞれピアノに触れたり音を出したりしながら、14年前の震災に思いを馳せていた。

東京から訪れた大学生は「(震災後の)長い歴史がこうやって形になったというのが、音とともにすごくしみた」と感想を語り、同じく東京から来た大学院生は「自分の目で見て触れるのは、なかなかないことだと思うし、震災を思い出すいい機会になった」と話した。
大船渡出身で東京在住の人は「感動した。大船渡、気仙のために頑張ってくれているのは本当にうれしい」と喜びを表した。

そして、演奏したピアニストの藤本純子さんは「音が戻って色々な人に触れてもらって、本当によかったねという気持ちでいっぱいになった」と語った。
持続可能な震災伝承を目指して
建物の取得から3年。新藤さんも「なんかよかった。いい時間過ごさせてもらって、ありがとうございました」と特別な思いを感じていた。
この日は新藤さんが作った料理も振る舞われた。
カフェを併設したのには、「収益部分を併せ持っていないと存続ができないと思う。この場所を活用することによって資金を作り上げて、その資金でこの場所を維持して運営して残す」という思いがあった。

今後も改修工事が続くため、カフェはひとまず9月までの営業となり、その後は、民泊の施設を整備するなどして、本格オープンを目指す。

「被災ピアノがどうやって今後活用されて、どうやって伝承できるツールになっていくか。価値を育てる役目が今の自分の役目と思っているので。どういう威力の津波が来たのか考える材料がここに山ほど含まれている。それを感じ取っていただけるようにサポートができればいいと思う」と新藤さんは語る。

震災から14年余り。被災した現物を通してあの日を伝えたい——新藤さんの思いが凝縮された施設が、大船渡でその一歩を踏み出した。
(岩手めんこいテレビ)