岩手・大船渡市の新聞社に、東日本大震災の被災地を駆け回り記事を書き続ける女性記者がいる。社長でありながらペンを握ることをやめない理由は、地域と人に寄り添い続けたいという強い思いだ。読者とともに歩み、被災地のいまを伝え続ける姿に迫った。

葛藤抱える中、震災に直面

2月、陸前高田市で大学生が街の魅力をPRするという取り組みを記者として取材していたのは、地域新聞「東海新報社」の社長・鈴木英里さん(43)だ。現場を駆け回り、自ら体験して、社長でありながら記者を続ける理由には、地域に寄り添う記者としての思いがあった。

陸前高田市で取材する東海新報社・社長 鈴木英里さん
陸前高田市で取材する東海新報社・社長 鈴木英里さん
この記事の画像(19枚)

東海新報社・社長 鈴木英里さん:
会うたびに、行くたびに新しい発見があって「そうだったんだ」と思うことがいっぱいあるんですよ

東海新報社(岩手・大船渡市)
東海新報社(岩手・大船渡市)

大船渡湾を臨む高台に東海新報社はある。沿岸南部の大船渡・陸前高田・住田を主な購読エリアに1日あたり約1万4,000部を発行し、気仙地域に密着した情報を届けている。

現在、43歳の鈴木さんは会社の若きトップだ。大学を卒業後、東京の出版社に就職。祖父が創業し父が社長を務めていた会社を継ぐため、16年前、地元・大船渡に戻った。

東海新報社・社長 鈴木英里さん:
都落ちしたような気持ちがあったというか、こっち(地元)で仕事をすることにどこか不本意さというのは残っていたと思います

葛藤を抱えながら記者を続ける中、その日は突然訪れた。

「記者として一番の転機に」

2011年3月11日、東日本大震災が起きた。

当時の大船渡市三陸町越喜来(提供:東海新報社)
当時の大船渡市三陸町越喜来(提供:東海新報社)

東海新報社・社長 鈴木英里さん:
その日の午前中に越喜来を取材していた。午前中にあった街が何もない。何をしていいかわからないけど、「写真を撮らなければ」という感じだった

当時、社屋に被害はなかったが、輪転機は停電で動かせない状態になった。しかし、自家発電機を使って翌日にはカラーコピーの号外を発行し、その後も月末まで新聞を無料で配るなど、地域紙としての役割を果たしていた。

避難所で暮らす男性(2011年4月):
交通機関のこと、医療機関のこと、地元のことは一番よく出ている

「地域の人の役に立ちたい」と語っていた鈴木さん(当時31)
「地域の人の役に立ちたい」と語っていた鈴木さん(当時31)

鈴木さんも自宅を津波で流された被災者でありながら、強い思いで取材にあたっていた。当時、鈴木さんは「地域の人の役に立ちたい、それだけです。それ以外には何もありません」と話していた。

その一方で、押さえきれない感情があふれてしまうこともあった。

東海新報社・社長 鈴木英里さん(当時31)
これまでのこととかいろいろ思い出して、ちょっと感極まってしまいました

東海新報社・社長 鈴木英里さん
東海新報社・社長 鈴木英里さん

鈴木さんは当時を振り返り、「取材をして伝えるという活動が、地域の人の役に立てるということを目の当たりにしたことがすごく大きい。自分が誰のために、何のために仕事をしているのかわかったというのが、記者としては一番の大きな転機になりました」と語った。

声なき声に寄り添い“いま”を伝える

思いを新たにした鈴木さんに3年前、もうひとつの転機が訪れた。先代の父・英彦さんが病で亡くなったのだ。

鈴木さんと父・英彦さん
鈴木さんと父・英彦さん

東海新報社・社長 鈴木英里さん:
いろいろ勉強してから社長になるつもりでいたけど、そういう準備が何もできないまま社長になったので

それでもペンを握り続けたのは、自らが取材してきたこの気仙地域をこれからも記者として見届けたいという思いからだった。

以前は仮設住宅の屋根が並んでいたという場所
以前は仮設住宅の屋根が並んでいたという場所

東海新報社・社長 鈴木英里さん:
以前、(陸前高田市内の)ここから見た時は、仮設住宅の屋根がずっと並んでいたんですよね。「そうだよな、ここまで来たんだよな」というのを、もう一度確認するために写真を撮りました

紙面には、いまも震災に関する内容が必ず掲載されているという。そして復興に関心を寄せる学生など、さまざまな角度から被災した地域のいまを伝え続けることで、声なき声に寄り添いたいと鈴木さんは考えている。

どれだけ時間がたとうと否定されず話せる場所に…
どれだけ時間がたとうと否定されず話せる場所に…

東海新報社・社長 鈴木英里さん:
被災した人や大事な人を亡くした人からすると、時間がたったからこそ言えなくなってくることが生まれていると感じる。「いつまでも引きずっちゃだめだよ、前を向かなきゃだめだよ」と言われてしまうから。だけど、そういう人たちの声をどれだけ時間がたとうと、いつもそばにいて耳を傾けられる場所に私たちはいたいと思っている。誰からも否定されずに話せる場所として東海新報がありたい

コラム「世迷言」に記された鈴木さんの思い
コラム「世迷言」に記された鈴木さんの思い

創刊から代々の社長が書き連ねてきた人気コラム「世迷言」には、鈴木さんの「世迷言」ではない確固たる信念がつづられていた。

ここの人たちが何を取り戻し、何を失ったままなのか、個々にどんな思いがあるのかを伝え続けていきたいという決意の強さは、どの媒体と比べても遜色ない。ずっと変わらずに続く古里の日々を、皆さんの傍らで見つめさせてほしい(「世迷言」 東海新報 2022年3月12日)

鈴木さんを支える社員たちもまた、そのまっすぐな思いに魅せられている。

東海新報社・高橋信記者:
やはり温かみですかね、言葉の端々から伝わるものがある

東海新報社 総務部・熊谷絹子副部長:
ぜひ鈴木さんに書いてもらいたいという依頼もありますし、私も社長の書き方は好き

読者とともに歩む東海新報。街を駆け回る鈴木さんが、きょうも紙面のどこかで被災地のいまを誠実に伝えている。

東海新報社・社長 鈴木英里さん:
もっと気仙地域を好きになって、「ここがいいところ」と確固たる自信とともに言えるようになりたいと思うので、あと少し猶予はほしいなと。もう少しだけ記者をやらせてほしいなと思っております

(岩手めんこいテレビ)

この記事に載せきれなかった画像を一覧でご覧いただけます。 ギャラリーページはこちら(19枚)
岩手めんこいテレビ
岩手めんこいテレビ

岩手の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。