岩手宮城内陸地震と東日本大震災、2度の大災害で救助活動を行った元消防士が、宮城県内で、「フィットネスジム」を経営している。ジムを開くことで、消防士の時に感じた「防災への課題」を解決しようという狙いだ。起業に至った思いを取材した。

元消防士が経営するフィットネスジム

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宮城県栗原市にあるフィットネスジム「UGOQ(ウゴク)」。様々な部位を鍛える筋力トレーニングマシンや、有酸素運動のためのマシン、そして、ヨガや体操を行うスタジオも完備。

経営するのは、後藤聡さん(46)。栗原市出身で、2020年まで栗原市消防本部に所属し、特別救助隊として、火災や交通事故など様々な場所で救助活動を行ってきた。

現在は、栗原市・登米市・石巻市で4店舗のジムを経営者しながら、ジムに通うお客さんに自ら体力づくりについて指導を行っている。

ジムに通う人は、「筋肉がついて体が大きくなった」「中年太りが解消して太らない体質になった」などといった肉体の変化だけでなく、「気持ちが前向きになった」など、様々な面からの変化を実感しているようだ。

消防から健康づくりの分野へ

後藤さんが、多くの人に体力を付けてもらいたいと考える理由。それは、消防士時代に感じていた地域の課題があった。

後藤聡さん:
人口が減っている町で救急出動が増えていた。車で移動するのが田舎の当たり前。それが病気につながったり、救急出動の増加につながったりしている。消防署が忙しくならないような街づくりとして、健康づくりの分野に転職をした。

そして、健康であることは災害時にも必要だと強調する。

後藤聡さん:
筋トレは最大の防災。災害はいつ起こるかわからない。体が健康でないと逃げられないし、救助の選択肢がなくなる。体づくりは一番の備え。

直面した2つの大災害

その考えは、消防士時代に経験した2度の大災害を通して実感したものだった。

岩手宮城内陸地震発生後の駒の湯温泉
岩手宮城内陸地震発生後の駒の湯温泉

1つ目の災害は、2008年6月14日に発生した岩手宮城内陸地震。発生の翌日から、駒の湯温泉で行方不明者の捜索にあたった。

後藤聡さん:
自分の町が危機的な状況になっている。当時は命がけで、自分の命が削られてもいいという覚悟で現場に入っていた。

困難を極めた捜索活動。大量の土砂に飲み込まれ7人が亡くなった駒の湯温泉では、全員が見つかるまでに1年以上がかかった。

東日本大震災発生後の南三陸町志津川
東日本大震災発生後の南三陸町志津川

そして、2011年3月11日。

後藤聡さん:
体力も使ったが、頭も使って、人助けの難しさと無力さを感じた。結局、生きている人は一人も助けていない。

後藤さんは、震災発生直後、南三陸町志津川地区と戸倉地区に入った。当時、目にした光景は、何年経っても忘れられないと言う。

後藤聡さん:
ただ涙が出てくる。言葉が失われる。無念さをその時に思うのはもう遅い。
そうなる前に何ができるか、その時は考えられなかった。今、落ち着いて考えると、その備えこそが全てだと思う。

南三陸町で祈りをささげる後藤さん
南三陸町で祈りをささげる後藤さん

心を無にして続けたという遺体の搬送。しかし、どうしても心を揺さぶられた瞬間があった。
同じ立場である消防士の死だ。

後藤聡さん:
どういう活動をして逃げ切れなかったのが想像がつく。何ができるのか考えさせられた。

生かされていることへの恩返し

後藤聡さん
後藤聡さん

多くの死を目の当たりにした2度の大災害。
逃げたくても逃げられなかった人々。助けたくても救えなかった命。辛い現実と向き合った後藤さんが思うことは、生かされているということに対する恩返しだった。

後藤聡さん:
筋力・体力が無いと逃げられない。逃げられない人は、周りを助ける共助もできない。共助の連鎖がつながって初めて公助、皆で助け合える。

消防士時代は救助をする側の人間として、自分の体力づくりに努めていた後藤さんだが、災害から逃げるためには、個々人が体力をつけておく必要があるとも実感した。

体力づくりは時間がかかるし、自分で足りないという認識を持つことも非常に難しいからこそ、トレーニングを続けることの大切さを訴え、いつおこるかわからない災害を前に備える重要性を強調する。

「体づくり=究極の防災」。

消防士として感じた課題を胸に、フィットネスジムで地域の人々の体づくりの手伝いをしている。これからも防災に向き合い続ける。

仙台放送 

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