岩手県大船渡市の水産会社「元正榮 北日本水産」が、東日本大震災と山林火災という二重の災害を乗り越え、アワビ養殖の再開に向けて奮闘している。「三陸翡翠あわび」のブランドを守るため、クラウドファンディングや貝殻を活用した加工品の開発など様々な方法で再起を図っている。
被害額約5億円に上ると見込まれる中、父から息子へと受け継がれる不屈の精神と、地域に根ざした事業再建の道のりを追う。
二重被災から再起を目指す水産会社
岩手県大船渡市でアワビ養殖に取り組む「元正榮 北日本水産」は、東日本大震災と山林火災という二度の大きな災害に見舞われた。
2025年3月11日、震災から14年を迎えた日、古川季宏社長は黙とうをささげながら、複雑な思いを抱いていた。

「14年早いなという部分と、今回火災で同じ状況に戻ったという感じもあり、私自身かなり複雑な思いがある」と古川社長は語る。

陸上でのアワビ養殖は、約40年前に古川社長の父親が世界で初めて成功させ、年間120万個ほどを供給してきた。
しかし、東日本大震災の津波で養殖施設は全壊し、販売の再開までには6年を要し国内最大規模の養殖施設として復活した。

震災後、「三陸翡翠あわび」としてブランド化し国内外に販路を広げていた矢先、大規模な山林火災が発生する。
古川社長は「東日本大震災からかなり年数をかけてやっと売り上げが戻って、これからというときのタイミングで、かなりショックが大きかった」と振り返る。
息子の決意が再起の原動力に
2025年2月に発生した大規模な山林火災により、三陸町綾里にあった資材置き場の倉庫や海水をくみあげるポンプなどが焼失した。

さらに停電も重なり、水槽に海水を循環させることができなくなった結果、約250万個のアワビが死に、被害額は約5億円に上ると見込まれている。
古川社長は「実際 (再開を)本当にできるかなと思った」と当時を振り返る。
古川社長の背中を押したのは、現在は取締役営業部長を務める息子の翔太さんだった。

震災当時中学生だった翔太さんは「震災のときは全く何も手助けはできなかったので、今回は非常に貢献できるのかなと思っている」と語る。
養殖の再開には約1億円が必要で、自己再建は厳しい状況だ。そこで翔太さんが始めたのがクラウドファンディングだ。

「再開に関わる費用を調達する目的でクラウドファンディングを始める」と翔太さんは意気込む。6月24日までに5000万円の支援を呼びかけ、、4月23日時点で約800万円が集まった。
奇跡的に生き残った"宝のアワビ"
再開への希望をつないだのが、奇跡的に生き残った親貝の存在だった。
約30万個のアワビがいた水槽から、偶然3000個ほどが生き残った。

工場長の石橋朋弥さんは「作業が1日早く終わっていればこの水槽が空になっていたので生き残らなかったし、もう少し作業の序盤であれば、10万・20万という数が残っていたので(全て酸素不足で)死んでいた」と説明する。

これらのアワビは、北日本水産が30年かけて品種改良をして得た特別な貝だった。
石橋工場長は「それ(親貝)が途切れずに済んだという意味では、本当に"宝のアワビ"」と語る。
地域との共生を目指して
一方で、大量のアワビが死んだ水槽の水の処理が課題となっている。そのまま海に流すと、収穫時期のワカメに臭いがつくなどの影響が懸念される。

翔太さんは「臭いも(近隣住民に)迷惑をかけてしまうので早く捨てなくてはいけない。漁師さんも今ワカメ漁をしているので臭いがついたら大変なこと。見通しが立たない状況が一番心苦しかった」と語る。

古川社長は4月14日に綾里漁協を訪ね、水槽の水を海に流すのはワカメの収穫が終わってからにすることなどを説明し、5月1日から排水することで合意を得た。
地域との共生を図りながら、再建への一歩を踏み出している。
未来への希望と不屈の精神
アワビが出荷できるまでには早くても3年かかるため、現在できることを模索している。その一つがアワビの貝殻を使った加工品づくりだ。

従業員たちは「この仕事が好きなので(会社に)残っているのもある。だから『少しでも会社の助けになればいい』と思って働いている」と語り、心を一つに作業に取り組んでいる。

大きな貝を洗ったあと、金属たわしで一個一個、光沢が出るまで磨きあげる。翡翠色の貝殻を使ったマグネットの飾り物など、様々な商品の可能性を探っている。

翔太さんは「助けていただいた方やお客様にしっかりとうちのアワビをお送りして、喜んで食べていただけるような、そんな未来をつくれればと思う」と、再びアワビを出荷できる日を思い描いている。
二度の災害を乗り越え、「三陸翡翠あわびをもう一度届けたい」という思いで、不屈の精神で立ち上がろうとしている元正榮 北日本水産。その挑戦は続いている。
(岩手めんこいテレビ)