いわゆる袴田事件で死刑が確定し、裁判のやり直しを求めている袴田巖元被告。裁判をやり直すかどうか、3月13日に東京高裁で判断が示される。なぜ逮捕されたのか、勾留生活はどんなものだったのか。袴田元被告のこれまでの人生を振り返る。

釈放からまもなく9年

袴田元被告(左)と姉のひで子さん(右)
袴田元被告(左)と姉のひで子さん(右)
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袴田巖元被告86歳。

3月13日に迫った東京高裁の再審可否の判断、やり直しの裁判を待っている。

支援者集会でマイクを持つ袴田元被告(2023年1月)
支援者集会でマイクを持つ袴田元被告(2023年1月)

「根性が通じた闘いはまだある。結果として色々な闘いはある…」

支援者集会でのあいさつは、大半が脈絡のない話。釈放からまもなく9年、長年の拘禁生活の影響が、いまだ色濃く残っている。

49年ぶりに釈放
49年ぶりに釈放

2014年3月、東京拘置所から釈放された袴田元被告。

体調の確認や治療のため、2カ月間、都内の精神科病院に入院した。退院後は浜松の自宅に戻り、姉と日々を過ごしている。

ひで子さん「9年前を思えば良くなっている」
ひで子さん「9年前を思えば良くなっている」

袴田元被告の姉・ひで子さん:
9年前に出てきたときのことを思えば多少良くなってる。表情なんかね、にっこり笑うようになったし、はじめなんかあくびもしなかった

一方、釈放時に診察・治療にあたった医師は…。

中島副院長「あまり変わっていないという感じ」
中島副院長「あまり変わっていないという感じ」

多摩あおば病院・中島 直 副院長:
お年を召したなというのは感じましたが、あまり変わっていないなという感じですね。例えば、表情の硬さが残っていたり、手を上げたり、合図をするような挨拶をするような。それが誰に対してのものでもないような動作がこれまでの経過を知っていると、拘禁症の症状が残ってるんだろうなと想像つく、そういう感じですね

6人きょうだいの末っ子、ボクシングの日本ラインカーに

家族写真 左から2人目が袴田元被告
家族写真 左から2人目が袴田元被告

袴田巖元被告は、1936年3月10日、浜松市で6人きょうだいの末っ子として生まれた。元被告9歳、姉12歳の時に、終戦を迎えている。

ひで子さん「弟はおとなしくて無口な子だった」
ひで子さん「弟はおとなしくて無口な子だった」

袴田元被告の姉・ひで子さん:
おとなしい子だよ、おとなしくて無口な子だった。遊ぶにも後をつけて、B29が来たときに私は屋根に上れば、飛行機が見えると思って行ったら、巖も追いかけてきて、一緒に2人で見てた

プロのリングで戦っていた袴田元被告
プロのリングで戦っていた袴田元被告

中学を卒業後、23歳でプロボクサーとなった袴田元被告。

フェザー級の日本ランキング6位に上り詰め、海外遠征もした。引退後、清水でスナックを経営し、その後 みそ会社で、住み込みで働くようになった。

事件発生…過酷な取り調べ

事件が発生した現場(1966年)
事件が発生した現場(1966年)

1966年6月30日。その務め先で、一家4人が殺害される強盗放火殺人事件が発生。

袴田元被告は、肩や手をケガしていたことや、パジャマに血がついていたことを理由に、事件から49日目、逮捕された。

水も与えられず、便器を持ち込まれ、1日最長16時間を超えた取り調べもあり、自白に至った。

当時の取り調べの音声では「大変に恐ろしいことをやったと思ってます。もう夢中で見られてしまったらしょうがないと」と話していた様子が記録されている。

沈黙を破った元裁判官

熊本典道元裁判官が参加した支援者集会(2007年)
熊本典道元裁判官が参加した支援者集会(2007年)

一審・静岡地裁は、45通の供述調書のうち1通しか採用せず、残りを排除。

裁判官を務めた熊本典道さんは、2007年に沈黙を破り、当時の捜査を痛烈に批判した。

熊本元裁判官「無茶苦茶な取り調べは確たる証拠がないから」
熊本元裁判官「無茶苦茶な取り調べは確たる証拠がないから」

袴田事件を担当・熊本 典道 元裁判官(2007年):
なんで20日間無茶苦茶な取り調べをするのか。確たる証拠がないからだろうと

熊本さんを除く、2人の裁判官の判断は有罪。死刑判決が下され、1980年、最高裁で確定した。

元刑務官が見た袴田元被告

東京拘置所
東京拘置所

死刑囚は、「死をもって罪を償う立場」。

刑務所には行かない。労務作業もない。拘置所に収監され、独居房で時を過ごす。

坂本元刑務官「一番つらいのはいつお呼びがくるか」
坂本元刑務官「一番つらいのはいつお呼びがくるか」

坂本 敏夫 元刑務官:
1日部屋の中にいて、テレビもパソコンもその他一切ありません。統一的に流れるラジオを聞くぐらいですね。あとは、本は自分で購入できるので読んだりして過ごしている。一番彼らが辛いのは、いつお呼びが来るのかということなんでしょうね

公開された死刑場
公開された死刑場

死刑は、執行される朝に担当の職員が訪れて、突然告げられる。

坂本さんは死刑判決の確定前と確定後の複数回、袴田元被告と接する機会があった。

坂本元刑務官「袴田元被告は裁判官を信じていた」
坂本元刑務官「袴田元被告は裁判官を信じていた」

坂本 敏夫 元刑務官:
印象に残ってるのは、1回目はまだ判決前です。 「大丈夫ですよ、最高裁の判事ですもん、他と違うでしょ、優秀でしょ」って言ったのが、本当に、裁判官を信じてましたよね。度々それが裏切られるわけでしょ。最高裁で裏切られ、再審請求で裏切られと。俺はやってないんだけど、これで死刑になるんじゃないかって。言葉悪いですけど、気が狂いますよね

涙ながらに弟の手紙を上げるひで子さん(2007年)
涙ながらに弟の手紙を上げるひで子さん(2007年)

袴田元被告から家族にあてた手紙には、「神さま。僕は犯人ではありません。僕は毎日叫んでいます。ここ静岡の風に乗って世間の人々の耳に届くことを、ただひたすらに祈って僕は叫ぶ」と書きつづられている。

東京拘置所から出てくるひで子さん(2013年)
東京拘置所から出てくるひで子さん(2013年)

東京拘置所の報告書には、袴田元被告は姉が差し入れたお菓子の袋を体に巻き付けたり、「食事に毒が入っている」と、ご飯を水で洗って食べたりしていたことが記されている。

再審の行方、57年目の判断は

自宅へ戻った袴田元被告(2014年)
自宅へ戻った袴田元被告(2014年)

孤独な生活から48年ぶりに解放された袴田元被告。

自宅に戻っても部屋を回り続け、拘置所で枚数が決められていたティッシュを整理し続ける姿があった。

姉の誕生日会(袴田さん支援クラブ提供)
姉の誕生日会(袴田さん支援クラブ提供)

9年の時が流れ、部屋を回ることはなくなった。2月、姉の誕生日にはプレゼントを贈り、穏やかな表情をみせていた。

ひで子さん「再審開始を願い闘っている」
ひで子さん「再審開始を願い闘っている」

袴田元被告の姉・ひで子さん:
やっぱりそれでも完全に抜けてるわけではない。日によってはまた戻って、行ったり来たりだよ。再審開始を本当にひたすら願う、それは最初から。56年前からその願いで闘ってきているんですよ

中島副院長「拘禁と思われる状態が続いている」
中島副院長「拘禁と思われる状態が続いている」

多摩あおば病院・中島 直 副院長:
彼は身分の上ではまだ死刑囚であって、 今は停止されてますけれども、いつ戻されて、いつ死刑が執行されるかわからないそういう状況にいるんですね。ある意味で拘禁が続いている、拘禁と思われる状況が続いているということでそれで良くなっていない、そういう考え方もできると思います

まもなく87歳に
まもなく87歳に

30歳で逮捕された袴田元被告。3月10日に誕生日を迎え、87歳となる。

(テレビ静岡)

テレビ静岡
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