いわゆる袴田事件は裁判をやり直すかどうか、3月13日に東京高裁で判断が示される。事件から約57年、弟の無実を信じ、闘い続ける姉のひで子さん。これまで何度もはね返されてきた、再審への高く、厚い壁に、今回も決して楽観はしていないが、「再審開始」を願っている。
きょうだいでの生活は10年目に

袴田巖元被告の姉、ひで子さん。2023年2月、90歳になった。
ひで子さんは2014年に釈放された弟と2人で暮らしている。

独居房に長く拘束され拘禁症が残る弟、その苦労を思い、行動に制限はせず、そばで静かに見守っている。
弟の無実を信じ57年、一番近くで支えてきた。
弟の逮捕と死刑確定

1966年6月、当時の静岡県清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺害された、いわゆる「袴田事件」が発生。
事件から数日後の週末、弟は普段と変わらない様子だったという。

袴田元被告の姉・ひで子さん:
自転車にまたがって近所の人と話してたのよ、巖がにこやかに。ああこれは関わり合いがないのでよかったなと安心した

しかし事件から49日後、弟は警察に逮捕された。当時、ひで子さんは33歳だった。
そして、のちの裁判で弟の死刑が確定。すでに家庭をもっていたほかのきょうだいたちの分まで自分が弟を支えていくと決意した。
勇気づけられた「無罪判決」

20代の時に結婚と離婚を経験したひで子さん。
2013年の取材時には「結婚の話は全然ないし、結婚しようとは思わなかった。巖のことができなくなる。私の勝手で結婚しなかった。みんなはこの事件があったから結婚できなかったと思うだろうけどね」と語っていた。

「僕は犯人ではありません。ここ静岡の風にのって世間の人々の耳に届くことをただひたすらに祈って僕は叫ぶ」
弟は家族に手紙を送り続けていた。

街頭で弟の無実と再審開始を訴えた日々を送っていたひで子さん。支援者も増えていった。
背中を押す力になったのは、闘いの末に無罪を勝ち取ったえん罪事件だ。

そのころ、一家4人の放火殺人事件「松山事件」と、6歳の女の子の誘拐殺人事件「島田事件」で、死刑が確定していた被告人の無罪判決が続き、ひで子さんを勇気づけた。
弟を思い、信じ、通い続け

弟を励まし、差し入れをするため、毎月東京拘置所に通った姉。2010年頃からは弟が面会を拒否するようになり、顔を見ることができなくなった。
それでも、弟を思い、信じ、通い続けた。

袴田元被告の姉・ひで子さん:
巖に姉さんが来たよって拘置所で言ってくれるでしょ。だから「また姉さん来たか」と思うことが、巖を私たちはまだ見捨ててないよっていうメッセージよ
そして2014年、静岡地裁は裁判のやり直しを決めた。

同じ日、袴田巖元被告は釈放された。約48年の時を経て、ついに弟が帰ってきた。

袴田元被告の姉・ひで子さん:
その時はただ嬉しかったね。「よかったね」って巖の手を握った。弁護士さんはきょとんとしちゃってね

しかしその4年後、東京高裁は、裁判のやり直しを認めた静岡地裁の決定を取り消し、再審請求を棄却した。
その後も、最高裁、東京高裁で審理が続けられてきたが事件から57年目。
再審の行方、57年目の判断は

33歳だったひで子さんは90歳に、弟はいまだ死刑囚のまま3月10日に87歳を迎える。

支援者の1人で、ひで子さんとは30年のつき合いになる山崎俊樹さん。強いきずなで結ばれている。
支援者・山崎俊樹さん:
ひで子さんの強さというものに、我々も励まされた面はかなりあると思います。
記者:
泣き言は?
支援者・山崎俊樹さん:
ないです。一切ないです

ひで子さんの強さは一緒に闘う弁護団にとっても励みになっている。
弁護団・小川 秀世 事務局長:
強烈な熱や光を与える。袴田事件にとって、火の玉みたいなね。そういう存在だと思いますよね

これまで何度もはね返されてきた、再審への高く、厚い壁。ひで子さんは今回も決して楽観はしていない。
袴田元被告の姉・ひで子さん:
それこそフタを開けてみにゃわからんまだね、裁判だから。だけど本当に再審開始になることを願ってますよ
闘い続ける強い気持ちで3月13日に臨む。
(テレビ静岡)