米国のバージニア州連邦地方裁判所は8月19日、イスラム過激派テロ組織「イスラム国」の元戦闘員シャフィ・シェイク被告に対し、誘拐や殺人の共謀の罪などで終身刑を言い渡した。
彼が殺害に関与した中には、日本人ジャーナリストの後藤健二氏と湯川遥菜氏も含まれる。2人は2015年にシリアで拘束、殺害された。当時「イスラム国」は、身代金を払わなければ2人を殺すと日本政府を脅迫する映像や、実際に2人を殺害する凄惨な映像を公開し、日本社会に大きな衝撃を与えたが、その衝撃は既に薄れて久しい。
この記事の画像(7枚)イスラム過激派によるテロの犠牲になった日本人
これ以前も、そしてこれ以降も、日本人はたびたびイスラム過激派によって殺傷されてきた。公安調査庁はその概要を「主な邦人被害テロ事件」として、ホームページで公開している。
米当局は8月1日、イスラム過激派テロ組織アルカイダの2代目指導者アイマン・ザワヒリをアフガニスタンの首都カブールで殺害することに成功したと発表した。
アルカイダの名を一躍有名にしたのが2001年9月11日の米同時多発テロであり、同テロでも日本人24人が犠牲となった。ザワヒリはこの計画立案者の筆頭に挙げられる。
それだけではない。ザワヒリは1997年にエジプト中部ルクソールで発生したテロ事件の首謀者でもあり、同テロでも日本人10人が犠牲になった。10人のうちのほとんどは、エジプトに新婚旅行に来ていた日本人新婚カップルであった。
アルカイダと連携していたインドネシアのイスラム過激派組織ジェマ・イスラミア(JI)が2002年に実行したバリ島の爆弾テロ事件でも、日本人2人が犠牲になった。2005年にJIが同じくバリ島で実行した自爆テロでも、日本人1人が犠牲になっている。
JIの創設者であるアブ・バカル・バシルは2022年1月、刑期満了でインドネシアの刑務所から出所した。バシルは2011年に15年の刑で収監されたものの刑期は何度か短縮され、最終的に服役期間は10年となった。出所当時82歳だったバシルは、今も生存している。
2002年のバリ島爆弾テロで使用された爆弾を製造したとして2011年に逮捕、収監されたウマル・パテクも、当初刑期は20年とされていたが、2022年8月、まもなく仮釈放される可能性があると報じられた。収監されてからまだ11年しか経っていないが、彼の「更生」を担当してきた脱過激化プログラムの運営者は、「彼は改心した」と断言し、釈放されればテロとの戦いに貢献することができると主張している。
テロで奪われた命が戻ることはない。一方でテロを実行したテロリストには、更生のチャンスが与えられることすらあるのが現実だ。
8月12日には米国で、小説『悪魔の詩』の著者であるサルマン・ラシュディ氏が公衆の面前で刺されて重傷を負う事件が発生した。同小説の日本語版を上梓した筑波大学助教授の五十嵐一氏は1991年、大学構内で何者かによって刺殺された。当該事件の容疑者は拘束されないまま、2006年に公訴時効が成立した。
米国が「テロとの戦い」を宣言してから21年が経つが、米国をはじめとする世界の諸国、そして日本の公安調査庁も、テロの脅威はいまなお続いていると警告している。「テロとの戦い」は日本人にとっても決して「他人事」ではない。