ハンドボール男子日本代表が、東京オリンピック(五輪)でソウル五輪以来33年ぶりの勝利を挙げてから1年。

この勝利は、ハンドボール界にとって大きな1勝だった。

しかし東京五輪は「開催国枠」での出場であり、予選を勝ち抜いてのものではない。1988年のソウル五輪以降、7大会連続で予選敗退している日本にとって、パリ五輪は36年ぶりに予選を勝ち抜くことに大きな目標がおかれているとも言えるのだ。

そんな“彗星JAPAN”(ハンドボール男子日本代表の愛称)の前に予選で立ちはだかるのが、アジアの強豪・カタールだ。

日本代表のポイントゲッター・徳田新之介選手は、2022年春、そのカタールのクラブチームへと移籍し、活躍を続けている。

東京五輪で感じた世界との差

徳田選手は、日本代表で左投げのポイントゲッターとして、東京五輪4試合にライトバックで出場。エジプト戦ではチームトップの8得点を挙げ、スピードとテクニック、トリッキーな動きが持ち味のプレイヤーだ。愛称は、ハンドボール界の「暴れん坊将軍」。

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県立岩国工業高校、筑波大学では世代別の日本代表を経験。そして大学2年、19歳の若さで日本代表デビューを果たすと、大学在学中からハンガリーで1年半プレーした経験を持つ。2022年3月からはカタールのAl Duhailと契約。

今、最も期待される日本代表の中心選手の一人である。

ーー初めての五輪はどうでしたか?

1次リーグ敗退というとても悔しい結果になりました。最終戦のポルトガル戦で、あと2、3点取れば決勝トーナメントにあがれたので。そこにいけばまた違った景色が見られたのかなという思いです。

ーー世界との差をどこに感じましたか?

銀メダルを獲得したデンマークは、特に体が強くて、大きい選手も多かったのですが、テクニックもスピードも兼ね備えていました。勝つためには、日本のハンドボールの質を高めないと、一生追いつけないなと感じました。

でも、シュートのバリエーションや、シュートタイミングの引き出しを増やせば、もっと得点を挙げられるなとも思いました。
 

東京五輪1次リーグは6チーム総当たりで、上位4チームが決勝トーナメントに進出するルールだったが、日本は1勝4敗と苦戦し、1次リーグ敗退。

結局、出場12チームで11位の成績だった。

海外選手との体格差やテクニックを目の当たりにし、日本代表が武器として磨いていくべき部分が分かったと徳田選手は語る。

来年から始まるパリ五輪の予選を勝ち上がり、五輪に2大会連続で出場するために徳田選手が決断したのが、“カタール移籍”だった。この選択には、ある強い思いがあったという。

2024年パリ五輪出場の獲得へ  カタール移籍決断

パリ五輪の出場権は、2023年の9月から始まるアジア予選で優勝するか、五輪予選トーナメントの結果次第で得られる。現在、アジアのトップはカタールで、隔年開催のアジア選手権5連覇中(実質10年間1位)と、その強さは圧倒的である。

徳田選手は、2022年3月からカタールのAl Duhailと契約を果たし、チームのリーグ制覇に貢献し、ついに同年9月からの新シーズンの契約を勝ち取った。

そんなカタールについて、徳田選手は次のように話す。

ーーカタール移籍への思いは?

日本はカタールに、10年近く勝てていません。カタールに勝たないとパリ五輪はなかなか見えてきません。でも、実際に数か月、カタールでプレーをしてみて、日本もカタールに勝てると感じる部分もありました。

なにより、僕がカタールの選手から得点を取れれば、勝利に近づくと思います。だからこそ僕が、また9月からカタールのチームでプレーをして、カタールの選手の特徴や戦術を学び、技術を磨いていけたらなと思います。

「トップレベルの選手としのぎを削る経験」に加え、「カタールの戦法や考え方を知り、学ぶこと」が、“カタール移籍決断”の大きな理由だという。

なにかを成し遂げるために、まずは相手を知る。次に自分に目を向ける…。
世界と戦うアスリートの哲学の一端をみる思いだった。

急成長した“ライバル”の存在

アジア最強カタールの優勝チームとシーズン契約を交わし、新たな立場でこの1年にすべてをかけようとする徳田選手。

日本代表歴7年の26歳は、決して驕らず、自身の現状についても冷静に見つめている。

「大学2年で日本代表に入った当初は、主力で出場していましたが、ここ2年くらいは出場時間が少しずつですが減ってきています。
さらに、弟(廉之介選手)が日本代表に選出されて、ポジション争いがし烈になっている中で、もっと自分の立ち位置を確固たるものにしたい、徳田新之介がいないとダメだと思われるような選手になるために、カタール移籍を決めました」

左:兄の新之介選手、右:弟の廉之助選手
左:兄の新之介選手、右:弟の廉之助選手

実は、徳田選手は、兄弟でハンドボール日本代表だ。

しかも弟の廉之介選手も同じサウスポー。代表内で同じポジションを巡り、せめぎ合う最大のライバルである。更に廉之介選手は、今季からポーランドのチームとの2年契約を結び、今、勢いに乗っている。新鋭の台頭を後目に、選手として、改めて自分の存在価値を高めなければという徳田選手の意気込みと、危機感の強さをひしひしと感じた。

異国での挑戦  ハンド界を知ってほしい 

ーーカタールでの目標は?

カタールチャンピオン、そして、アジアの1位を決めるアジアクラブ選手権でチームを優勝に導くことです。また僕自身、カタールの選手相手にどのくらい通用するのかもとても楽しみです。

カタールリーグで優勝し、盾を掲げる徳田選手
カタールリーグで優勝し、盾を掲げる徳田選手

ハンドボールの面白さや楽しさ、魅力を伝えたい。ハンドボールの普及にも尽力していきたいと話す徳田選手はこう続ける。

「野球、サッカー、バスケットボールなどで海外で活躍する日本人選手だけではなく、ヨーロッパやアジアで挑戦を続けるハンドボール選手もいるんだと、皆さんに知っていただけたらなと思います」

“彗星JAPAN”が2大会連続で五輪に出場するために、カタールへ渡りプレーすることを選んだ徳田新之介選手。すべては1年後のアジア予選に向けて。またそこには、日本を引っ張る圧倒的な存在にならなくては、という本人の強い決意がある。

初めて出場した東京五輪で感じた悔しさと手応え。日本代表、そして自身の進化のための、勝負の1年。インタビュー中に何度も“勝ちたい”と口にし、ハンドボールの魅力を自身の姿を通して伝えたいという熱量が印象的だった。

2024年、パリ五輪への戦いはもう始まっている。

大川立樹
大川立樹

フジテレビアナウンサー。1995年、愛知県出身。愛知県立刈谷高校、筑波大学体育専門学群卒後、2018年フジテレビ入社。現在、情報番組『めざましどようび 』のスポーツコーナーや、スポーツ実況(野球、ボクシング、スピードスケート)を担当。
野球を大学まで17年間、そのほか、水泳、駅伝、トライアスロンなどを経験。