日本から直線距離で約11,000km離れたアフリカ・モロッコで、2024年9月、日本人サッカー選手として史上初めてプロ契約を結んだ、森下仁道選手(29)。

岡山・倉敷市出身の森下仁道選手
岡山・倉敷市出身の森下仁道選手
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これまでに、ザンビア、ガーナ、モロッコの3カ国でプロサッカー選手として活躍する一方、食糧支援や子どもたちとのサッカー交流、トゥクトゥク事業など、現地の地域貢献事業にも精力的に取り組んでいる。なぜ彼は日本を離れ、アフリカの地へ飛び立つ決断をしたのか。その背景と、アスリートとしての今後の目標に迫った。

Jリーガーになるための“肩書き”作りとして

森下選手は大学在学中、日本でプロになるための“肩書き作り”として、日本人選手が少なく、サッカーのレベルが一定以上とされる中東やアフリカでプレーする機会を模索していた。

大学での研究テーマが「アフリカにおけるスポーツを通じての国際開発」だったことも、彼をアフリカへと導く大きな要因となった。

大学4年生の時、ザンビアで開催されるスポーツの学会に出席する教授に「一緒に行かせていただけませんか」と連絡を取ると、返答は「自費参加であれば可能」。さっそく資金をかき集めてその学会に参加したという。

ザンビア1部リーグ「FC MUZA」時代の森下仁道選手
ザンビア1部リーグ「FC MUZA」時代の森下仁道選手

現地では、自身のプレー動画を閲覧できるQRコード付きの名刺をスポーツ関係者に積極的に配布した。その後、ザンビア代表チームの関係者とつながることに成功し、トライアウトの機会を獲得。見事合格し、ザンビアの1部リーグ「FC MUZA」でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。 

直面したハードな環境と厳しい練習

夢だったプロサッカー選手。しかし、森下選手はその1年目を「2度と戻りたくないような生活だった」と振り返る。それほど過酷な環境の中での挑戦だった。

森下選手:
食文化や、練習環境や練習内容も日本とは大きく違い、最初の1カ月で体重が7キロ減少しました。異文化に慣れることの難しさにも苦しみました。
また、選手としてはとても苦労した時間でした。標高が高いザンビアでの練習内容はハードで、精神的にも肉体的にも厳しかったです。ただ、プロとしてデビューし数試合に出場できたことは、報われた瞬間だったなと思います。

全体練習の様子 前から3列目の最右が森下選手
全体練習の様子 前から3列目の最右が森下選手

ビザの関係で出場できる試合や時間も限られていた中で、プロデビューを果たし「プロサッカー選手」としてのキャリアをスタートさせた森下選手。
「FC MUZA」との契約はシーズン終了と同時に満了となり、休学していた大学を卒業するために帰国した。 

人とのつながり、出会い…2度目のアフリカ挑戦

ザンビアでの選手生活を「日本人がほとんどいないというだけで、多くの方に注目していただき、つながることができた」と振り返る森下選手。森下選手のアフリカでの活躍を応援したいと、同じくアフリカで働く日本人や日本企業がスポンサーとなってくれたという。思いがけない嬉しい出会いや、人との縁に恵まれ、「こういうキャリアも面白いな」と感じ、アフリカを拠点にしようと決意した。

森下選手:
ザンビアから帰国後、日本のチームにトライアウトを受けていたとき、姉が亡くなりました。キャリアを考え直すきっかけになり、家族と相談して、アフリカに振り切ろうかと。アフリカに特化したサッカー選手になろうと思いました。ちょうどその時、練習会に参加していたガーナのチームからオファーをもらったので、移籍を決断しました。

ガーナ1部「Cape Coast Ebusua Dwarfs」
ガーナ1部「Cape Coast Ebusua Dwarfs」

プロとして2カ国目のガーナでは国内移籍も経験し、2つのチームで3年間プレー。現在は、モロッコ2部の「Stade Marocain」でプレーしている。

アフリカで活躍する日本人プロサッカー選手として

森下選手の母校・筑波大学の同期には、鈴木徳真選手(ガンバ大阪)、西澤健太選手(サガン鳥栖)、後輩には三笘薫選手(ブライトン)がいる。

森下選手:
ニッチな方に逃げたくないんです。
彼らと、サッカー選手として対等に話ができるようなキャリアを目指さないといけないと思うんです。彼らにもいつか認めてもらいたい。
私は推薦組でもなく、彼らほどサッカーは上手ではないですが、サッカー選手として私にしか描けないキャリアを進むためにアフリカを選択したので、アフリカで一番レベルの高いリーグでプレーをしてアフリカチャンピオンズリーグに出ることが、選手としての大きな目標です。

モロッコ2部「Stade Marocain」の集合写真
モロッコ2部「Stade Marocain」の集合写真

ザンビアでキャリアをスタートし、ガーナ、モロッコと渡り歩く中で、リーグの競技レベルは徐々に上がってきた。

今季は開幕戦で得点を決め、6月まで続くシーズン中にあと3ゴール決めれば、外国人選手のシーズン最多得点記録に並ぶという。

サッカーを通じた現地の人たちと心の交流

森下選手は、プロ選手として活動するだけでなく、サッカーを通じて現地の子どもたちとの交流、支援にも力を入れている。

ザンビアでは、公式戦に出場するたびに、現地の孤児院へ食糧を寄付する活動を行っていた。そんな中、忘れられない言葉があったという。

森下選手:
食糧を寄付しに行ったときに5歳くらいの男の子が、お世辞だとは思うんですけど、「将来、メッシ選手やクリスティアーノ・ロナウド選手ではなく、仁道みたいなサッカー選手になりたいんだ」と言ってくれた時に、外国人としてこの場所でサッカーをする意義はこういうところにもあるんだなと実感しました。

トゥクトゥク事業により現地で雇用も創出
トゥクトゥク事業により現地で雇用も創出

また、トゥクトゥク事業を展開し、サポーターらをドライバーとして雇用しているほか、その売上の一部を活用して、子どもたちのためのサッカー大会を開催している。
さらに、サッカーの指導や、サッカーを通じた交流の企画・運営にも取り組んでいる。

ガーナで開催したサッカー大会の様子
ガーナで開催したサッカー大会の様子

森下選手:
大学生の時にやっていたことを、現地でそのままやっているという感覚なんです。
サッカーコーチのライセンスを取って、近隣の小中学生にサッカーを指導する活動をしていましたが、それをアフリカで実践しているだけなんです。
でも、嬉しかったのは、私が主催したサッカー大会に出た子どもたちや、トゥクトゥクの利用者たちが、私の試合に応援しに駆けつけてくれることです。
少年少女にサッカーを教え、楽しんでもらうことが自分のためにもなり、さらに子どもたちが応援に来て声援をくれる。
エネルギーや支え合う力が循環しているなと感じます。日本から離れた地で、活動が形になっていることは、サッカー選手として本当に嬉しいですし、幸せを感じます。

アフリカの日本人サッカー選手=仁道(JINDO)

初めてアフリカに渡ってから丸7年。

森下選手は「先人の日本人たちが築いてきた信頼のおかげで、我々は好意的に迎え入れられている。だからこそ、しっかりと次の世代に引き継いでいきたい」と語る。

森下選手:
「アフリカといえばJINDOだよね」という存在になりたい。それは日本でも。
そのためにアフリカチャンピオンズリーグに出場する。
そのためにモロッコ1部でプレーする。
そのために、今季できるだけ結果を残したい。
人に応援され、愛され、そして私もエネルギーを還元できる人間でありたいです。

森下選手とリモート取材した大川アナ
森下選手とリモート取材した大川アナ

日本を飛び出し、ザンビア、ガーナ、モロッコと渡り歩きながら、プロサッカー選手としてのキャリアを築いてきた森下選手。
サッカーを"共通言語"に、現地の子どもたちと交流し、地域にも貢献しながら、自らの道を切り拓いてきた。

7年前に飛び込んだ未知の世界でまずはアフリカ最高峰の舞台「アフリカチャンピオンズリーグ」を目指す。「アフリカといえばJINDO」に向けて森下選手の挑戦は続く。

【取材・執筆:フジテレビアナウンサー 大川立樹】

大川立樹
大川立樹

フジテレビアナウンサー。1995年、愛知県出身。愛知県立刈谷高校、筑波大学体育専門学群卒後、2018年フジテレビ入社。現在、情報番組『めざましどようび 』のスポーツコーナーや、スポーツ実況(野球、ボクシング、スピードスケート)を担当。
野球を大学まで17年間、そのほか、水泳、駅伝、トライアスロンなどを経験。