将来を決める第一歩となる、学生時代の“進路選択”。

プロ野球界を目指す野球少年にとっても、非常に重要なものだ。

2021年のドラフト2位で埼玉西武ライオンズに入団した佐藤隼輔投手は、日本球界では珍しい公立高校・国立大学を経るという“選択”を通して、プロ野球選手の道を歩み始めている。

実際に長いプロ野球の歴史の中で、国立大在籍時にドラフト指名を受けた選手は、佐藤投手含めわずか11人(育成ドラフト除く)。さらに2022年8月1日現在、支配下選手は2人という現状だ。

憧れの世界に近づくための選択は「自分の性格を一番に」と語るプロ1年目の佐藤投手に、その“選択”をした当時の心境や考え方について、共に筑波大学野球部に所属した大川立樹アナウンサーが話を聞いた。

あえて選ばなかった野球界のエリートコース

昨年のドラフト2位で西武に入団し、1年目から1軍の春季キャンプに帯同した西武・佐藤隼輔投手。

そのまま開幕1軍登録を果たすと、ローテーション入りし、プロ初登板で初勝利を挙げるなど、前半戦9試合で3勝という成績を残している。

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東北で生まれ、小4から野球を始めた佐藤投手は、中学時代にエースとして活躍し、東北大会で準優勝。強豪私立高校から声がかかる存在となった。 

しかし彼が進んだ道は、私立ではなく、公立高校である仙台市立仙台高等学校への進学。そして卒業後は、国立大学である筑波大学へと進学した。

早くから野球の才能が開花し注目され、後にプロ野球へと進む選手の経歴として、決して典型的な進路には見えない。

佐藤選手は、高校・大学への進路を選択する際には「自分の性格を基準に考えること」が大事だと語る。

仲間と野球をするため“選択”した高校進学

ーー中学で活躍し、高校に進学するにあたって、公立の仙台高校に決めた理由は?
私立高校からもお誘いはありましたが、一番は、中学時代の野球部の仲間が仙台高校に行くと言ったので、みんなと野球をするために決めました。

自分としても、(当時は)強豪私立高校で野球をやるという思いもなかったので、仙台高校を選びました。


高校入学時は、将来、野球で生きていくことやプロ野球選手になることは全く考えていなかったという佐藤投手。しかし高校で実績を残すなかで、将来への心境の変化があったと続ける。

「高校3年の春先からスカウトの方に注目していただいて、それなりに試合で結果が出始めてきたので、野球で生きていくというか、野球の道に進んでいくのかなという考えが出てくるようになりました」

「プロ挑戦か、大学進学か」二択で揺れた高三の夏

しかし高校時代に上げた実績としては、県大会でのベスト8が最高。スカウトの注目を集める中、目指していた甲子園出場は達成できなかった。

ーー高校3年生時点での進路選択は?
大学進学かプロ志望届提出かの二択で、凄く悩みました。

要因は、甲子園に行けず、夏の大会も県ベスト8で終わって、自信を持ってプロ志望届を出すことができなかったこと。その状況でプロの世界に進むのはどうなのか、悩みがある状態で進む世界ではないと思って、大学進学に決めました。

高校からプロに行こうが、大学からプロにいこうが、プロの世界で活躍する選手はどのルートで行っても活躍できる、という考えになったので。大学に進学して結果を出し、自信を持って4年後にプロ志望届を出せるようになろうと思いました。


そんな想いから佐藤選手は大学進学を決意し、4年後にドラフト1位指名を目指すことを決めたと明かす。

筑波大学に進学「自分の性格にあった環境」で4年後を目指した

しかし佐藤選手が進んだ大学は、六大学野球に出場できる大学ではなく、国立の筑波大学だった。

ーーなぜ国立の筑波大学を選択した?
自分自身の練習スタイルにあっていると思ったからです。高校も私立ではなく、ガチガチにやっていたわけではなくて、監督からアドバイスをもらい、最後は自分で考えて、取捨選択しながらの成長でした。自分にはそんな環境があっていると感じていて。

さらに大学の研究機関もあり、やらされるのではなく考えながら、且つさまざまなアドバイスをもらえる環境の筑波大学に決めました。

ーー4年間で身についたことは?
1番は、考える力です。監督やコーチ、野球部以外の先生方と関わる機会があり、多様な知識を得ることができた。それらを野球に活かすことができました。
 

大学では1年秋からリーグ戦に5試合に登板。3勝を挙げ、チーム12年ぶりの明治神宮大会出場に貢献。2年時には大学日本代表に選出し、日米大学野球選手権で優勝。

首都大学リーグでは、通算30試合登板10勝9敗。2021年ドラフト会議では、もし1位指名だった場合、国立大学卒としては25年ぶりだとして大きな話題を呼んだが、惜しくも2位指名となった。

しかし、いわゆるエリートコースを歩まなくても、自分の性格に忠実に進路を選んだ結果、球界から高い評価を得られるまでに成長し、プロ野球選手として着実な一歩を踏み出すことができることを証明してみせた。 

「この進路選択だったからプロの世界に来ることができた」

3月29日にプロ初登板初勝利を挙げ、ルーキーイヤー前半戦は9試合に登板し3勝3敗。確実に一歩ずつ進み始めている佐藤選手。

ーープロ野球選手を夢見る学生にとって、佐藤投手が思う進路選択において大切にすべきことは?
“自分の性格”、それが一番だと思います。厳しい環境で揉まれて成長する人もいるだろうし、自分で考えながら成長する人もいると思います。人それぞれ、自分の性格的なところが一番の判断材料なのかなと思います。

私の進路選択は本当に後悔がなくて、むしろこの進路選択だったからプロの世界に来ることができた。逆に高校から揉まれる環境で、周りに凄い選手がいる環境に進んでいたら、果たしてここまでやれていたのかなとも思いますし、本当にこの進路選択でよかったと思います。

現状を把握し、自ら考え、最適解を探しながら努力してきた経験が、プロの世界でも少しずつ身を結んでいる佐藤選手。

8月12日現在、チームは首位と好調だ。

3年ぶりのリーグ制覇に向けて勝負の日々が続く中、「チームの戦力になりたい」と語る彼のような若き力が加わると、さらに勢いも増すことだろう。

大学の野球部の後輩であり、さらにルーキーイヤーで開幕1軍、ローテーション入りを勝ち取った“プロ”の姿を今後も取材していきたい。

佐藤投手の躍動する姿が楽しみだ。

大川立樹
大川立樹

フジテレビアナウンサー。1995年、愛知県出身。愛知県立刈谷高校、筑波大学体育専門学群卒後、2018年フジテレビ入社。現在、情報番組『めざましどようび 』のスポーツコーナーや、スポーツ実況(野球、ボクシング、スピードスケート)を担当。
野球を大学まで17年間、そのほか、水泳、駅伝、トライアスロンなどを経験。