ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってから5月24日で3カ月となった。南東部マリウポリの製鉄所でウクライナ兵が投降する一方、第2の都市ハルキウをウクライナ軍が奪還するなど日々刻々と戦況が変化するなか、ロシア軍が撤退した後のキーウ近郊で記者が目にしたのは、ロシア軍による残虐な戦争犯罪の爪痕だった。

墓地に埋葬すら許されず…

キーウ近郊のブチャは、軍事侵攻が始まった直後からロシア軍が占拠し、逃げる市民を後ろから拳銃で殺害したり、処刑と称して手を後ろ手に縛った状態で銃殺するなどの行為が行われたとされる場所だ。ロシア軍が市内を占拠していたため、殺害された人たちの遺体は回収されることなく何日も路上に放置されていた。

私がブチャを訪れたのは4月。市内にある教会の敷地内では、地面の大きな穴から、黒い袋に包まれた数多くの遺体が次々に掘り出されていた。これらの遺体はロシア軍によって埋められたものではない。病院関係者らが路上に放置されていた遺体を回収し墓地に埋めようとしたところ、ロシア軍から「墓地に近付くと殺す」と脅され、やむなく教会敷地内に埋めたのだ。

掘り起こされた遺体の検視と身元確認が行われた
掘り起こされた遺体の検視と身元確認が行われた
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病院関係者らは、ロシア軍は残忍な方法で市民を殺したばかりか、墓地に埋葬することすら許さなかったと話す。

病院責任者:
病院の遺体安置所にはもう場所がなく、病院の周りでは多くの人が射殺されていました。私たちはこれらの遺体を一カ所に集めました。しかし当時、市内はロシア軍に占拠され、私たちは遺体を墓地に埋めることが許されませんでした。

教会の大司教:
ここに眠る人たちの大半は、地雷や砲撃で亡くなったのではありません。偶発的な原因で犠牲になったのではなく、射殺された人たちです。私が知っている限りここには100人以上の遺体があります。

取材に応じる大司教
取材に応じる大司教

ロシア軍撤退を受けてようやく遺体は掘り起こされ、身元確認と検視が行われた。多くの遺体には残忍な方法で殺害された痕が残っていた。こうした残酷な現実を、多くの市民が目撃していた。

少女が語った母親たちの証言

4月下旬のある日、ポーランドにあるウクライナとの国境近くの駅・プシェミシルで取材していた時、私はブチャ出身の17歳の少女に出会った。

アナスタシア・コロツコさんは、他の学生たちと共に集団でイタリアに避難するところだった。ロシア軍がブチャに侵攻した際、アナスタシアさん自身は別の町にいたが、母親は侵攻から3週間近くブチャで生活し、ロシア軍の蛮行を目の当たりにしてきたという。

アナスタシア・クロツコさん:
最初に来た兵士はそれほど残酷ではなかったが、その後に来た兵士たちは非人間的でした。ロシア人は(アナスタシアさんの家の)隣人を殺しました。親しい友人たちは、ロシア人が来る前にブチャから逃げることができましたが、学校の何人かはロシア人によって殺されました。また、ロシア人が住宅を全て壊して、何もかも盗んでいったと聞きました。私の家は、父親が取り付けた鉄の扉のおかげで壊されることはありませんでした。

ブチャ出身のアナスタシア・クロツコさん(17)
ブチャ出身のアナスタシア・クロツコさん(17)

町を占拠した上、一般市民を殺害して、住宅を破壊し中のものを盗み出す。さらにロシア兵の横暴な振る舞いは続いたという。

アナスタシア・クロツコさん:
ロシア兵は、避難所となっている一つの建物を見つけ占拠しました。彼らはそこに居座り、避難者たちは3日間地下室に拘束されたのです。3日後、女性と子どもは解放されましたが、男性はそのまま残されました。やがて、その男性たちの死体が隣りの森で見つかりました。彼らは全員処刑されたのです。地下室に拘留されていた女性の一人が、私の隣人でした。彼女は解放されましたが、彼女の夫は処刑され、その前に拷問を受けたと言われています。彼の脚には銃創があったのです。

酒瓶が散乱、ゴミの異臭…ロシア兵が占拠した建物内部

耳を疑うようなむごたらしい行為が行われたというその建物を私たちも取材していた。工場の表に建てられた事務所のような建物は、ブチャ市民が砲撃を逃れるために地下シェルターとして使用していた場所で、約100人が避難していたとされる。そこをロシア兵が占拠したのだ。

ロシア兵が占拠した建物
ロシア兵が占拠した建物

1階の玄関を入ると、中は小さなホールになっている。テーブルや床に散乱したものを見ると、ロシア兵が居座っていたことが分かる。例えば、星のマークのついた食べ物が入った袋。これはロシア兵が軍から支給され携行していたものだ。ロシアのたばこもある。そして何より目立つのが、そこら中に散乱する酒瓶の多さだ。ロシア兵が酒を飲みながら拷問や処刑などの残虐な行為をしていたのだろうか。この戦争で起きている恐ろしい蛮行に、改めて激しい戦慄と怒りを覚えた。

1階ホールには酒瓶やたばこが散乱
1階ホールには酒瓶やたばこが散乱

当時、建物に避難していた女性は「ここは戦車に囲まれ、地下に人々が閉じ込まれていました。みんな、このシェルターにいて人質に取られたのです。地下室に行って自分で見てください」と話し、当時の辛い経験を思い出したのか、それ以上語らずその場を去った。

地下シェルターには寝食をしていた痕跡が残る
地下シェルターには寝食をしていた痕跡が残る

地下室に下りると、並べられた椅子の上に毛布や枕が置かれていた。食べ終わった皿やスプーン、そして数え切れないほどのゴミ袋は異臭を放っていた。避難者の生活の痕跡なのだろうか。

また、ここにも星のマークが付いたロシア軍のクッキーや薬などがあった。ロシア兵が市民を解放した後にこの場所で寝泊まりしていたのは確かだ。3月終わりに撤退する直前まで、彼らはここを拠点に、極悪非道な行為を繰り返していたとみられる。(後編#2に続く)

【執筆:FNNパリ支局長 山岸直人】

山岸直人
山岸直人

未来を明るいものに!感動、怒り、喜びや悲しみを少しでも多くの人にお伝えすることで世の中を良くしたい、そんなきっかけ作りに役立てればと考えています。新たな発見を求め、体は重くともフットワークは軽快に・・・現場の臨場感を大切にしていきます!
FNNパリ支局長。1994年フジテレビ入社。社会部記者、ベルリン特派員、プライムニュースイブニング、Live News αを経て現職に。ドイツのパンをこよなく愛するが、最近はフランスパン贔屓。