「離れたこと自体は後悔していませんが、ここに残るつもりもありません。戦争が終わったら必ずウクライナに戻ります」
まっすぐな目を私たちに向け、こう話し始めたのは、フランス北部のノルマンディー地方で暮らすウクライナ人のリュドミラさん(63)です。ロシアによる侵攻後に突然始まった避難生活は、まもなく4年になります。
後に“虐殺”が明らかに ブチャを脱出し徒歩で首都キーウを目指した
リュドミラさんがかつて暮らしていたのは、ロシア軍が一時的に占領し多数の民間人が虐殺されたとされる、首都キーウの近郊の街ブチャです。
スマートフォンには、侵攻が始まってから国を離れるまでの2週間の様子が記録されていました。ブチャを脱出する直前の映像を見ると、すぐ近くに落ちる砲弾の轟音が周囲を揺らしています。
その後、リュドミラさんはブチャから首都キーウまでの道のり約10キロを徒歩で避難。当時の様子を捉えた映像には、道路脇には横倒しになった車や焦げた車などが映っていました。危険は、すぐそこまで迫っていたのです。「平穏に暮らせる場所を探して、国外へ出ました。夫の健康と命を危険にさらせませんでした」と振り返ります。
その後、ハイチ人の夫ジョセフさん(76)と2人でウクライナからルーマニアを経由して車やバス、電車を乗り継ぎ、1週間かけてパリの駅にたどり着きました。FNNの取材クルーと初めて出会ったのはその時のこと。荷物は、タブレットと数枚の下着など限られたものだけでした。
それから4年、リュドミラさんもフランス語の勉強を続け少し会話も出来るようになりました。休日は友人と散歩するなどして過ごしていますが、頭にあるのは常に祖国のことです。
トランプ大統領は“狐”のよう
特にトランプ大統領が就任してからのこの1年、ウクライナはその一挙手一投足に常に振り回されてきました。
リュドミラさんにその点について尋ねると、政治的な話はあまりしたくないと前置きをした上で、「トランプ氏が大統領になったからといって、戦争が終わるとは思っていませんでした。彼には独自の野心とロシアに対する特別な考えがあります。彼は”狐”のようです」と視線を落として、静かに、どこか突き放したように話していました。
今の心の支えは、ウクライナに残している3人の子どもとの電話や5人の孫の成長を見守ること。携帯電話のフォルダは、家族の写真であふれていました。離れて暮らしているため、安否が気に掛かり毎日のように連絡を取っています。
ウクライナにテレビ電話をかけると、孫のオリビアちゃんとこんな会話が始まりました。
リュドミラさん:何をしているの?
オリビアちゃん:粘土で人形を作っているよ。粘土を彫っているんだ。
リュドミラさん:粘土で何を作るの?
オリビアちゃん:ベッドを作っているの。
また、娘の1人は衛生兵として前線で日々負傷者の治療をしたり移送を助けたりしているそうです。
「毎日のように、今日こそ戻りたいという気持ちを抱いています。フランスに私を縛るものは何もありません」
リュドミラさんはそう言うと、ウクライナのブチャにある自宅の写真を見せてくれました。
「ふるさと」の庭は何事もなかったかのように色とりどりの花で溢れていました。
「生きている限り、問題はない」 ウクライナに戻る度に支援活動も
やりきれない思いを抱えているのは夫のジョセフさんも同じです。「ウクライナとルーマニアの国境についたときに、『これで地獄から出ることが出来る』と思いました。だけど、パリに到着すると『なぜ国を離れたのか』と自問自答しました。76歳と歳を取り過ぎていて彼らに加われないことも後悔の一つです」と、淡々と少し間を置きながら話します。
その思いを形にしているのが、支援物資の配布です。年に1回程度ウクライナに戻る際に服など支援物資を持参し、現地にいる家族とともに配る活動を続けています。
今の生活について聞くと、シンプルな答えが返ってきました。「妻のリュドミラも幸せに生きているし、生きている限り、問題はない」と。
ウクライナからの避難民は590万人以上 支援削減の動きも
UNHCR=国連難民高等弁務官事務所によると、リュドミラさんのようにウクライナを逃れて国外で生活している人は590万人以上(2026年2月19日時点)に上ります。
フランス政府はおよそ1年前、避難者への住宅支援などについて、予算に合わせて削減するよう各自治体に指示を出しました。
4年前からリュドミラさんたちの支援に当たってきた地元のクロード副市長は、戦争の長期化で避難者を取り巻く環境は難しくなったとして「支援がみんなに行き渡るものから、ケースバイケースで判断されるようになりました」と指摘します。
住む場所を追われ、家族と引き離されて4年。多くの避難民が、先の見えない日々を懸命に過ごしています。
(FNNパリ支局 原佑輔)
