石原慎太郎さんと日本維新の会で一時共同代表を務めるなど親交のある橋下徹弁護士がめざまし8に出演。これまでの秘話を明かし、偲びました。

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橋下徹氏
いろいろ体調のことは聞いていたので、この時期なのかと思いました。本当にランダムに家に電話なんかかけてくださって、体調どうか?と聞いてくださっていました。残念です

――最後に会われたのは?

橋下徹氏
共通の知人から連絡があって体調がすぐれないと。12月13日にお邪魔して、最後にいろいろゆっくりお話しをさせていただきました。他愛もない話とか、国、皇室、靖国、核ミサイル、それとは全然別にうちの子どもの話だったり、車椅子に乗っていたものの、「石原節」は最期まで健在でした。40歳も下の子ども以下の歳なのに玄関まで見送りしてくださって「友よありがとう」と言ってくださった

――日本維新の会共同代表になった経緯は?

橋下徹氏
政治を変えなければいけないという思いの中で、「東京と大阪でタッグを組まないか?」という声をいただきました。グループでは反対の声が強かったんです。最後は僕が大阪市長・大阪府知事として国会議員束ねる自信もなく、石原さんが好きだったので一緒にやろうと

――思い出は?

橋下徹氏
たくさんありすぎて…。東日本大震災のあと、福島で選挙演説をやって寒くて。石原さんはスーツでガタガタ震えて、寒いなって。ウィスキーをポケットから出して「一緒に飲もう」って。「これがカラダを温めるんだ」って、格好良かったですね

――石原氏が分党した理由は?

橋下徹氏
石原さんと僕は考え方の違いはいろいろありました。大激論になったこともあったし、戦争経験者と経験していない人の違いというのはいっぱいあった。憲法改正の考え方にも微妙な違いがあり、僕は自民党に対抗できる野党を作るために広げようと思っていて、絶対あそことは組めないというグループと組んだんです。石原さんはいろいろ思いはあったと思う。最終的に「君が選んだんだったら僕は去る」あのグループとは一緒になれないんだと去って行った

――引退の際には、「総理の器」と表されましたが直接は?

橋下徹氏
ありますけど、酔っ払ったときの話で、僕らは人をまとめるのが苦手ですよねって。好き勝手やっている人間をまとめられない、議院内閣制では難しいよねと

――石原氏はどういう政治家?

橋下徹氏
芯が強く言葉で人を動かせる政治家ってなかなかいない。とにかくチャーミング、40歳下の僕とまともに議論、激論するんですから。いろいろ功罪あると言われるが、国を引っ張ってきて、しんどい部分も話してくださった。本当に日本を引っ張ってくれてありがとうございました

(「めざまし8」2月2日放送より)

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