若手記者が語る「リンゴ日報」

「香港の社会全体にとってのとてつもない損失です。悲しいとか、恐ろしいとかでは言い表せない。どうしようもなく、絶望的で、言葉もありません・・・」

2021年6月24日、香港。FNNの取材に応じ、絞り出すような声で語ったエンジェル・クワンさん(23)は「リンゴ日報」の記者、正確には“元”記者だ。「香港の独立ジャーナリズムの砦」(米バイデン大統領)は、この日、26年の歴史に幕を閉じた。

リンゴ日報の元記者 エンジェル・クワンさん(23)
リンゴ日報の元記者 エンジェル・クワンさん(23)
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クワンさんは語る。

「リンゴ日報は香港の表現の自由、言論の自由を象徴する新聞です。私たちは中国政府や香港政府が好まないニュースを報じることを恐れない。これがこのメディアの強みです。それも全てなくなってしまいました」

リンゴ日報は1995年、実業家の黎智英(ジミー・ライ)氏によって創刊されたタブロイド紙だ。97年の香港返還以降は多くの現地主要メディアに中国本土の資本が入り、中国に批判的な報道にブレーキがかかるようになっていった。しかし、「リンゴ」は一貫して中国共産党に厳しい論調をとり、2014年の「雨傘運動」や2019年以降の大規模デモも、明確な民主派支持の立場で報じてきた。

リンゴ日報本社の社屋
リンゴ日報本社の社屋
 

国安法による「リンゴ潰し」

そうして多くの香港市民から支持された新聞を苦境に追いやっていったのは、2020年6月30日、中国の習近平指導部が導入した香港国家安全維持法(国安法)だ。反体制的な言動を取り締まる法律で、施行直後から「香港独立」を掲げたデモ参加者や、民主派活動家らが次々と逮捕されていった。クワンさんはちょうどそのころ、あえてリンゴ日報に入社した。「国安法が施行され、リンゴ日報はいつか今日のような結末を迎えると想定していました。記者として、最前線でそれを目撃したかったのです」。

国安法違反で逮捕された黎智英(ジミー・ライ)氏
国安法違反で逮捕された黎智英(ジミー・ライ)氏

同年8月には創業者・黎氏が国安法の「外国勢力と結託して国家の安全に危害をもたらした罪」で逮捕された。民主派の大物として知られ、多くの海外メディアの取材にも応じていた黎氏は、しばしば当局者や中国系メディアに「反中分子」などと名指しで批判されてきた。黎氏が国安法のターゲットとなるのはある意味で想定内だったが、当局は逮捕と同時にリンゴ日報の社屋で大規模な家宅捜索を行い、黎氏個人にとどまらない「リンゴ潰し」の意図を内外に見せつけた。

教育分野の担当として、香港政府が導入を進める「国家安全教育」などを取材したというクワンさん。突如愛国的な内容に改訂された教科書の内容を詳しく報じ、やりがいを感じたという。自分が逮捕されないかと恐ろしくなかったのだろうか?

「もちろん怖かったです。逮捕されて、必ずしも公正な裁判を受けられるとは限りません。書いたものが香港政府や中国政府が気に入らないという理由で罰せられることになります」

記事の内容が“違法” そして廃刊へ

書いた記事が国安法違反とされる―。リンゴ日報が廃刊に追い込まれた直接のきっかけは、まさにそうした事態だ。2021年6月17日、編集長や発行元のCEOら5人が一斉に逮捕。諸外国に香港や中国への制裁を呼びかけた内容の記事が「外国勢力との結託」とされたとみられ、クワンさんも、報道の自由が完全に損なわれたと感じたという。

この逮捕と同時に、会社の資産が凍結されたため、リンゴ日報は社員への給料の支払いが困難な状況に陥った。取り締まり拡大の恐れもあるなか、離職する社員が相次ぎ、24日付けの新聞を最後の発行とするという発表までの展開はあっけなかった。7月1日は、中国共産党創立100周年と、香港返還24年の記念日。国安法施行から1年足らず、リンゴ日報は中国と香港にとって歴史的なその節目を報じることができなくなった。

2021年6月24日に発行された最後のリンゴ日報には「香港人とのつらい別れ」という見出しが
2021年6月24日に発行された最後のリンゴ日報には「香港人とのつらい別れ」という見出しが

「香港人とのつらい別れ」。1面に大きく書かれた最後のリンゴ日報は、過去最多となる100万部が印刷され、早朝から多くの香港市民が長い行列をつくって買い求めた。「香港に報道の自由はもうない。次の世代がかわいそうだ」。涙を浮かべて語る男性が印象的だった。

消える「報道の自由」次の“標的”も

リンゴ日報を買い求める香港市民
リンゴ日報を買い求める香港市民

リンゴ日報を失った香港はどうなっていくのか?元記者、クワンさんは厳しい表情を浮かべた。

「私は悲観しています。リンゴ日報はほんの始まりです。政府が好まない、はっきりものを言うメディアは―それももうほとんど残っていませんが―、同じ状況に直面していくでしょう」

廃刊後にもリンゴ日報元主筆の男性が逮捕されるなど、当局に締め付けの手を緩める気配はなく、さらには早くも複数のネットメディアが次の国安法のターゲットに挙がる。「一国二制度」のもと香港で保証されてきた言論・報道の自由は、まさに風前の灯火だが、中国政府は「報道の自由は免罪符ではない」(外務省・趙立堅報道官)と正当化するのみだ。

リンゴ日報に宛てた市民のメッセージを見るクワンさん
リンゴ日報に宛てた市民のメッセージを見るクワンさん

「悲観しているとは言いましたが、香港にはまだ、真実を伝え、人々に本当に起きていることを知らせるジャーナリストが必要だと思います」

自身の今後については何も決めていないとしながら、クワンさんはまだ希望を捨てずにいるようだ。

「香港やリンゴ日報の状況に関心を寄せてくれた日本の人々に本当に感謝しています。これからも国際的な関心が非常に大切です。事態は短い期間では変わらないかもしれませんが、継続的な関心こそが、政府や体制を監視することになると信じています」

【執筆:FNN北京支局 岩佐雄人】

岩佐 雄人
岩佐 雄人

FNN北京支局特派員。東海テレビ報道部で行政担当(名古屋市・愛知県)、経済担当(トヨタ自動車など)、岐阜支局駐在。2019年8月~現職。