伝統的な米酢は蒸した米、米麹、水を混ぜ、発酵させた上で、できあがったもろみに酢酸菌を加えて発酵させる。つまり、わざわざ作った日本酒の原液に酢酸菌を入れるのだが、これだと高価な米を大量に使用する上に、発酵工程が2段階あり製造に時間がかかる。
それに対して、初代中野又左衛門が編み出した方法は、酒造りの副産物である酒粕を利用するため圧倒的に低コストだった。
初めに水分を抜いた酒粕を3年から5年熟成させる必要はあるが、アルコール分を含んでいる酒粕を用いるため、米から作るよりも工程は少なくて済む。
しかも、長期間熟成させるため、強い旨みと香りも生まれる。まさに、SDGsと味を両立させた大発明である。このお酢は酒粕を使うため「粕酢」と呼ばれた。
それでは、なぜ初代中野又左衛門はお酢を作ろうと思ったのか。MIZKAN MUSEUM(ミツカンミュージアム)の新美佳久館長によれば、市場調査の結果だという。
寿司のファストフード化を支えた粕酢
初代中野又左衛門は酒造りを営んでいた中野家に養子として入った人物。その後、1804(文化元)年に分家・独立してお酢作りを始めるのだが、その時に江戸の町を訪れ、寿司に出会っていたそうだ。
当時の江戸は人口100万人の大都市。しかも、単身男性ばかりが集まる町だったため、屋台のそばや天ぷら、寿司などの外食産業が発展していた。寿司はそれまでのような発酵したなれ寿司ではなく、シャリにネタを載せた早寿司(にぎり寿司)である。その頃の早寿司は今のようなサイズでなく、いなり寿司ぐらいの大きなサイズだったという。
ただ、当時の米酢は高級品で、寿司も比較的高価な食べ物だった。それに対して、粕酢は圧倒的に安価で、旨みと甘味があるため、米酢にはない深い甘味とコクをシャリに持たせることができる。
その市場性を確信した初代中野又左衛門は粕酢の生産に踏み切り、江戸にどんどん“輸出”した。その後、華屋与兵衛(はなや・よへえ)などの登場で寿司はファストフードとして爆発的に普及していくが、その背景には半田の粕酢があった。
半田にあるミツカンミュージアムは、お酢の歴史や江戸の食文化などが体験できてかなり楽しい。江戸にお酢を運んだ弁才船の巨大な再現模型も壮観だが、江戸時代の酢づくりの工程や道具を再現した「大地の蔵」や「あなたも酢づくり職人」という体験型アトラクションは、子どもだけでなく大人も楽しめる。
醸造のリサイクル技術をベースに生まれた調味料
もう一つの流れは調味料としてのみりんである。このみりんも、大量に余った酒粕を活用した醸造のリサイクル技術をベースにしている。

