「今年は1500万円の赤字を出しました」連日行列が絶えない人気すし店の店主がこう打ち明ける。福井市文京にある「魚心」は新鮮で大きなネタとリーズナブルな価格で知られ、静岡や大阪など県外からも客が訪れるほどの人気店だ。開店と同時に満席になり、いまや「福井の観光スポット」とも評される。その行列の裏側には、朗らかな店主の揺るがぬ信念があった。
23歳で独立も「8年間ずっと赤字でした」
6月のある土曜日、午前5時20分に取材スタッフが店に到着すると、すでに店主の大西朗さんの姿が。「きょうは2時ぐらいから仕込んでいます」と屈託のない笑顔を見せる。
毎朝、一人で仕込みを行う大西さん。土曜日は約2520貫を仕込む。この約200人前は、あくまで「半日分」だという。
ネタは10キロ単位で仕込み、すべて手で切り分ける。「うちの魅力は原料から手で切っているところです」と大西さん。「切り身ではなく手間暇かけたほうが、やっぱりおいしいんですよ」と名前通りの“朗らか”な笑顔をみせる。
大西さんが魚心を開いたのは約20年前、23歳のとき。回転すし店を買い取る形で独立したが、家が一軒建つほどの借金を背負ってのスタートだった。「ひっそりオープンしたら、誰もお客さんが来なくて。夜の部は午後5時開店で、7時までお客さんが1人も来なかったり…」と振り返る。
経営難は長く続いた。8年間、赤字を出し続け、自分と妻の両親に頭を下げて金を借りたこともある。「あと1週間で300万円用意しないと業者と取引が停止される」という瀬戸際まで追い詰められたこともあった。「本当にやめようか、というところまで来たら、そのときに息子の病気が見つかって。もうこうなったらやるしかないなって奮起した。それがなかったら多分やめていたんじゃないかな」
妻は家庭に入り息子のサポートに専念。大西さんは家族を支えるためにも、店の立て直しに奮起した。集客のためのイベントを企画し、SNSをいち早く活用して認知度を高めていった。
「赤字が出たので、ネタをもっと大きくしました」
地道な努力で行列店へと成長させた魚心だが、実は今年の決算は1500万円の赤字だった。それにもかかわらず「1500万円の赤字が出て、すぐやったことは…6種類ぐらいネタを大きくしました」
赤字を受けて削るのではなく、むしろ食材を大きくする、という逆説的な判断の理由を尋ねると「長い目で見たら、ずっと来てくれたほうがいいから」だという。その分、少しの値上げで対応した。
赤字のもう一つの原因は“稼ぎ時”の土日祝日に昼の営業を行っていないことだ。「県外からも来てくださるので駐車場がなくて、近隣住民のところに停められてしまって。人に迷惑をかけてまで経営してはいけないと思っているので」。お盆、正月、ゴールデンウィークも含め、“稼ぎ時”を軒並み半日営業にしたという。
それでも行列ができれば売り上げが上がりそうだが…「むしろ落ちている」という。「席数は変わらないから売り上げは変わらないんですよ…もうかっているわけじゃないですからね、ほんとに」と苦笑する。
何でも話してくれる大西さんだが、厨房の中で唯一、撮影を断られたのがシャリの仕込みだ。「シャリは、やっぱりそのお店の秘伝があるので、ここだけは…ちょっとNGです」
魚心が最もこだわるシャリには、もっちりしすぎない食感の「イクヒカリ」を使用。米穀店から農家に直接発注し栽培してもらっている。コメの価格は1年前の2倍になり、これも赤字の大きな要因となった。「どうしようかなと思って」と大西さんは苦笑いを浮かべながらも「シャリが命ですから」と繰り返す。
季節によって酢の量も水の量も浸水時間もすべて変わるといい、シャリを炊くときは、常に朗らかな大西さんから笑顔が消える。それほど真剣に向き合っているのだ。
「感謝しかないっす」行列の裏にある店主の人柄
大西さんの人柄を物語るエピソードがある。2018年の豪雪のとき、魚心は開店休業状態に追い込まれた。「大雪で人が来なくて、ネタが余って捨てるくらいなら、みんなに食べてもらおうと思って」
ニュースで孤立集落の存在を知った大西さんは、温かい食事を届けようと知人に電話をかけ、困っている人々に届けた。後日、感謝の手紙が届き「ほんとに感動しました。受け取ってくれる人がいたんだと思って」と振り返る。
スタッフへの待遇にも、大西さんの姿勢が表れている。平日は時給1400円、土日は1500円と地域水準(福井県の最低時給:1053円)を大幅に上回る報酬を設定。
子供の発熱など家庭の事情による休みにも柔軟に対応する。「最長2カ月休んだ方もいらっしゃる」という。さらに、アルバイトを含む従業員の飲み会代は全額会社が負担している。「選んで働きに来てくれるのは本当にうれしいので、感謝しかない」と周囲への感謝を欠かさない。
開店から1時間半で閉店までの予約が埋まる
開店は午後5時だが、2時半には店の前に行列が。暑い中で並ぶ客のために日傘も用意する。そして午後5時の開店と同時に、あっという間に満席に。午後6時前には午後9時の閉店まですべての予約が埋まり、入場制限がかかった。
静岡から訪れた人は「福井でご飯食べるって言ったら、まずここが一番。ここまでネタが分厚くて、この値段はない」と話す。
「美味しかったのでみんなを連れて来ました」と大阪から家族7人で訪れた人のお目当ては、カニ身がたっぷりのって590円の一皿だ。
午後7時半、10時間かけて仕込んだネタが切れはじめ、追加で仕込みに入る。それでも大西さんの表情は明るい。「めちゃくちゃ楽しい。お客さんとの会話ができるので、ほんとに楽しいです。感謝しかないです」
行列ができる店の秘密は、コスパだけではない、お客さんやスタッフ、支える家族、すべての人への感謝を胸に調理場に立つ店主、大西朗さんの人柄そのものにあるのかもしれない。

