越前朝倉氏の「栄華の象徴」として福井市の一乗谷が広く知られる一方、100年にわたる栄華の “始まりと終わり”を刻んだのは、実は大野だった。大河ドラマ「豊臣兄弟!」を機に注目される朝倉氏の歴史を、大野市に残るゆかりの地をたどりながら読み解いていく。

width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/me9xsEau1sc?si=bMAbcxhrgLN20mz0" title="YouTube video player"frameborder="0" scrolling="no" allowfullscreen style="background-color: #ffffff; border-width: 0px; margin: 0px; padding: 0px; position: absolute; top: 0; left: 0; width: 100%; height: 100%;">

「三つ盛木瓜」が刻まれた公園に眠る、最後の当主

大野城下の一角にある小さな公園。遊具のあちこちに施されているのは、朝倉氏の家紋「三つ盛木瓜」だ。古くから「義景公園」として地域に親しまれてきたこの場所に、戦国大名・朝倉義景の墓所がある。

朝倉義景の墓所がある「義景公園」
朝倉義景の墓所がある「義景公園」
この記事の画像(13枚)

墓所には義景を弔う五輪塔が立ち、傍らには最後まで主君に仕えた家臣や、義景が愛した小少将の墓も並ぶ。

義景の墓にはいまも花が手向けられている
義景の墓にはいまも花が手向けられている

いまも地域の人々が花を供え続けており、五百年近くの時を経てなお、義景は大野の人々に弔われ続けている。

大野市教委の田中学芸員
大野市教委の田中学芸員

大野市教育委員会の田中孝志指導学芸員は、「大野郡で義景が自害したことだけがクローズアップされがちだが、百年余り朝倉氏が越前支配を続ける中で、そのポイント、ポイントで大野郡が重要な位置を占める、大きなメッセージを持つ土地だと知ってもらえると、より朝倉の理解も深まると思う」と語る。

義景の終焉の地としてのみ語られがちな大野。しかしその歴史は、朝倉氏が越前へ乗り出した百年前の戦乱にまでさかのぼる。

 越前を奪い取った男——初代・朝倉孝景の野望

戦国時代の幕開けとなった応仁の乱(1467年)。京の都で勃発したこの大乱は、やがて地方の大名たちにも波及し、各地で領地争いが激化した。こうした戦乱のさなか、越前の支配をめぐって激しい合戦を繰り広げたのが朝倉氏の初代・朝倉孝景である。

当時、越前を長く支配していたのは斯波氏だった。孝景が越前攻略を進める中、斯波氏らは1475年(文明7年)、現在、日吉神社が建つ土橋城に立てこもり、激しく抵抗した。この合戦に勝利した朝倉氏は、越前支配を大きく手繰り寄せた。

越前支配への足掛かりとなった合戦の地
越前支配への足掛かりとなった合戦の地

しかし、斯波氏の抵抗はそれで終わらなかった。越前各地での戦いはその後も続き、特に大野郡を本拠地とする斯波氏の家臣・二宮氏は最後まで強硬に抵抗を続けた。田中学芸員によれば、「この大野郡の二宮を討伐することで、朝倉氏の越前の国の支配が決定づいた」という。

小さな山城に刻まれた、越前平定の決定打

大野市上庄地区に、こんもりとした小さな山がある。1481年(文明13年)、孝景はここ小山城での合戦で斯波氏を打ち破った。

孝景が斯波氏を打ち取った小山城
孝景が斯波氏を打ち取った小山城

この勝利によって朝倉氏はようやく越前の支配を確固たるものとし、後に一乗谷を中心とする繁栄の基盤を築いていく。百年続く朝倉氏の栄華は、この大野の地を起点として花開いたのだ。

一乗谷を追われた義景は大野市清瀧にある洞雲寺へ
一乗谷を追われた義景は大野市清瀧にある洞雲寺へ

それから約90年後の1573年(天正元年)、織田信長と対立した朝倉義景は一乗谷を追われ、逃走の末に大野市清瀧にある洞雲寺へと身を寄せた。義景にこの寺を勧めたのは、いとこにあたる景鏡だった。

“天然の要塞”だった洞雲寺
“天然の要塞”だった洞雲寺

洞雲寺は、前方に大きな川が流れ、背後にはうっそうとした山が迫る、天然の要塞ともいえる立地にある。義景はここで再起を図るつもりだったとみられている。

義景の念持仏
義景の念持仏

寺にはいまも、義景の「念持仏」として伝わる仏像が残る。ずっしりと思いこの仏像を合戦場で祭壇にまつり、勝利を祈願した。

すべては景鏡の策略…朝倉氏滅亡へ

しかし、洞雲寺へ逃れたのは、義景にとって救いではなく罠だったのだ。

いとこの景鏡は密かに平泉寺の僧兵たちとともに軍勢を整え、義景を六坊賢松寺へとおびき出した。景鏡の兵に四方を囲まれた義景は、ついにそこで自害。百年にわたって越前に君臨した朝倉氏は、ここに滅亡した。

景鏡におびきだされ兵に囲まれた義景は自害した
景鏡におびきだされ兵に囲まれた義景は自害した

注目すべきは、義景を裏切った景鏡が、朝倉氏において「大野郡司」という重要な役職を担っていたという事実。越前の中でも大野を重要拠点と位置づけ、郡司を置いて統治していた朝倉氏。そのまさに大野を預かる人物によって、朝倉氏は内側から崩れ去ったのだ。

朝倉義景の墓所、天然の要塞・洞雲寺、そして越前平定を決定づけた小山城——百年に及ぶ朝倉氏の越前支配において、その節目節目でターニングポイントとなったのは、大野だった。

福井テレビ
福井テレビ

福井の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。