陸路と海路の要衝として古くから重要視されてきた福井・敦賀市。この地には、豊臣秀吉ゆかりの場所が数多く存在する。大河ドラマで注目されるいま、秀吉ゆかりの地を紹介する。
信長が戦況をうかがった本陣
まず訪れたのは、奈良時代(730年・天平2年)に創建された妙見寺。住職の木村吉幸さんが、この寺に残る歴史の一幕を語ってくれた。
戦国時代の1570年、織田信長は現在の福井市一条谷を拠点とした越前朝倉氏を攻めるため、豊臣秀吉と弟の秀長を率いて敦賀の地に入った。
天筒山城、そして尾根続きにある金ヶ崎城と、立て続けに2つの城を落とした信長軍が本陣を構えたのが、この妙見寺だった。
寺の敷地からは天筒山の様子がよく見えることから「大きな中庭の辺りに陣を張って、ここから戦況をうかがっていたのではないか」と木村住職は推測する。
寺の本堂などは江戸時代の火災や昭和の敦賀空襲によって失われた。しかし、野面積みの石垣は当時のままの姿で残り、歴史の証人として静かにたたずんでいる。
難関突破のお守り…お市が兄・信長に送った“小豆袋”
次に向かったのは、敦賀湾を望む小高い山にある金ヶ崎城跡。ここは、織田信長にとって最大の窮地として知られる「金ヶ崎の退き口」の舞台である。
長い石段を上ると、金ヶ崎宮が見えてくる。サクラの時期には「花換えまつり」で知られるこの神社には、戦の歴史にちなんだお守りがある。

「こちらが難関突破のお守り、小豆袋守りです」そう言って宮司が見せてくれたのは、両端をひもで結んである一風変わったお守りだ。
朝倉氏を攻めていた信長は、妹・お市の夫である近江の浅井長政の裏切りにあう。
これにより、朝倉軍と浅井軍に挟み撃ちにされるという絶体絶命の危機に陥った。

この時、お市の方が陣中の信長に届けたのが、両端を縛った小豆袋だったと伝えられている。袋のネズミとなり、挟み撃ちにされる危険を知らせたのだ。
この逸話にあやかり、小豆袋守りは難関突破のお守りとされている。
そして、この窮地に最後尾で敵の追撃を防ぐ「殿(しんがり)」という最も危険な役割を務め上げたのが、豊臣秀吉だったのだ。この大手柄によって秀吉は信長から厚い信頼を得ることになり、天下人への道を切り開いたともいわれる。まさに、開運のお守りでもある。
最後に、金ヶ崎城の本丸があったとされる月見御殿へ。
ここから見渡す敦賀湾の景色は「最高なのが新緑の時期。心が洗われますよ」と神職。当時の武将たちも、同じ景色を眺めたのだろうか。
秀吉が天下人へと駆け上がる、その転機となった敦賀。ゆかりの地を巡り、歴史に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
