小さな頃からお笑い芸人を目指していたという竹山さん。

浪人中に同級生とお笑いコンビを結成し、オーディション番組で優勝して福岡吉本の一期生に。
しかし、関東芸人に憧れていた竹山さんは1年で吉本をやめ、東京に出てきたそう。
「東京に来て半年くらい八百屋さんとかでバイトしてて、そしたら小学生の同級生だった相方の中島と、偶然西荻窪の食堂で出会ったんです」

「何やってんだ?って聞くと、板前の修業してて、先輩とケンカして飛び出してきたと。昔の知り合いを尋ねて西荻窪に来たら、もう引き払っていなくなっていて、今行くところがないって言うから、俺ん家に転がり込んできて1年くらい一緒に遊んでましたね。19歳から20歳くらいの頃で、皇居もディズニーランドも上野公園も全部中島と初めていきました」と思い出深く話す竹山さん。
当時の食生活は、「金はなかったけど中島が板前だったんで料理が上手いんですよ。キャベツ1個だけ買って帰ると、つまみ用の千切りを作ってしょうゆマヨネーズで食べたり。キャベツを甘辛く煮て、安い豚肉入れたりして、あとはご飯だけ炊けば飯はいける。そんな感じで自分たちで作って食ってましたね」と明かした。
キレ芸でブレイクして借金生活を抜け出す
「その後、1年ぐらい経って“俺芸人やりに来たんだけどお前もやんない?”みたいな感じで誘って、コンビを組むことになりました。それが21歳の頃で、30過ぎくらいまで一向に売れませんでしたね。ギャラ貰ったことないです、20代の時」と淡々と話し、下積み時代の壮絶な借金時代の話へ…。
「中島が24くらいの時、交通事故に遭ったんです。両方悪くて示談なんだけど、お互い払わないといけない。中島は30万払わないといけなくて、当時としてはとてつもない金だから、あいつが“もう芸人辞めるわ”って。金を返さないといけないから」
「それで話は終わって、4日後くらいに中島が突然“解決した”って連絡してきたんです。詳しく聞いたら、スポーツ新聞広げて“ここに行った”って消費者金融の広告を指さして。次のページ開いて“ここにも行った、ここにもここにも”って4社から借りてて。“ということでここに100万ある”って。その時俺は“何やってんだ!”じゃなくて“マジか!?俺も!!”って金借り始めまして、それからは借金取りに追われる生活に」と笑いながら話す竹山さん。
その後、「色々あってライブでぶち切れた時に社長から評価されたりして、そっからキレる漫才が始まって、テレビに出だして借金は返しました」と債務整理までした借金の顛末を明かした。

見事“キレ芸”で大ブレイクしたカンニング。しかし2006年、竹山さんの相方・中島忠幸さんが病により帰らぬ人に…。コンビ名への想いと相方と共に歩んだ時間を胸に、竹山さんは今も“カンニング竹山”として一人で活動している。
今では午後5時にスタートして8時解散
本日の2杯目は「紹興酒」。

作るのも食べるのも好きな竹山さん、芸能界の飲み仲間も多いそう。
