老いや認知症をテーマに活動する劇団「OiBokkeShi」の看板俳優で“おかじい”の愛称で親しまれ、3月に99歳で亡くなった岡田忠雄さんのお別れの会が岡山市で営まれました。
「舞台はいのち」、生涯現役を貫いたおかじいの役者魂は残されたメンバーに受け継がれています。
【岡山芸術創造劇場ハレノワ 5月17日】
(劇団OiBokkeShi主宰 菅原直樹さん)
「あなたはスターです。これからも私たちを見守ってください。
あなたの温もりを感じることができないのが寂しいけれど、
でもまた天国で舞台をつくりましょう。ありがとう!おかじい」
「お別れの会」にはおかじいを愛し、おかじいに愛された人たちが参列。最後の別れを惜しみました。
〇岡田忠雄さん病室で
「舞台、いのち、いのち」
おかじいは亡くなる前の日まで拳を高く突き上げ、舞台への意欲を燃やしていました。
2014年6月、岡田忠雄さん、88歳。
この日、劇団OiBokkeShiのワークショップに参加しなければ、看板俳優“おかじい”の誕生はありませんでした。
〇おかじいが料理を運ぶ(2015年)
きっかけは認知症を患う同い年の妻の介護でした。
(岡田忠雄さん)
「(妻が)「お世話になりました、退職します」とわしに言う。驚いた、これは漫才かと。だから何も会話ができない。本当の会話は」
そんな中、OiBokkeShiの主宰・菅原直樹さんに出会い、間違いを正すことよりも、演技して合わせた方が相手の感情に寄り添えることを知りました。
〇菅原さんがおかじいを迎えに来る
「(ノックの音)どうぞ、どうも監督、ご苦労さま」
「迎えに来ました」
「監督」「おかじい」と呼び合う菅原さんと岡田さん。年齢差57歳とは思えない息の合ったパートナーでした。
1926年5月、高松市に生まれた岡田さん。子供の頃から映画が大好きで俳優に憧れていました。就職を機に岡山市に移り住み、定年退職後は、岡山で撮影された映画にエキストラなどで参加するようになりました。
(岡田忠雄さん)
「これは映画「黒い雨」に出演した時に今村昌平監督からもらった色紙」
【認知症徘徊演劇「よみちにひはくれない」】
おかじいの俳優デビューは88歳の時。以来、OiBokkeShiの看板俳優として自身の介護経験や生前葬を題材にした作品などに出演しました。
(菅原直樹さん)
「おかじいは「俳優に定年はない」と言う。「歩けなくなったら車いすの役ができる。寝たきりになったら寝たきりの役ができる。最後は棺おけに入った役ができる」と言う。こんなことを言える俳優がいるんだと驚いた」
岡田さんは文字通り、舞台にいのちをかけてきました。
〇舞台「恋はみずいろ」
2025年7月、99歳で臨んだ福岡県久留米市での舞台が最後の出演となりました。
2026年3月、5月にハレノワで行われる100歳記念公演に向けて稽古が始まった矢先、脳梗塞で倒れて入院。帰らぬ人となりました。
(菅原直樹さん)
「目も耳も悪くなり、歩くことも難しくなり、認知症のような症状が出始めても、
あなたの舞台にかける情熱は変わりませんでした。
むしろ、その思いは強くなり、現実を舞台に結び付ける力が増してきました。
年を重ねていく岡田さんといつまで舞台をつくることができるのだろうか、
しかし、そんな不安を突き飛ばしてくれるのは、
岡田さんの「舞台はいのち」という言葉でした。高く突き上げる拳でした。
その姿によってあなたの“狂気の旅”にともに突き進もうと思えるのでした。
私はあなたの出演する舞台の監督でした。
そして、あなたの人生という作品の出演者でした。
あなたに与えられた監督という役をこれからも演じ続けたいと思います。
そして、
あなたが生き方を通じて見せてくれた演劇の力を、
演劇の喜びを多くの方々と分かち合いたいと思います」