スペイン領カナリア諸島の一つ、テネリフェ島。

大西洋に浮かぶこの島は、雄大な自然と温暖な気候を求めて年間数百万人の観光客が訪れる、ヨーロッパ有数のリゾート地だ。島の経済は観光業に大きく依存している。

5月半ばでもビーチには海水浴を楽しむ人も
5月半ばでもビーチには海水浴を楽しむ人も
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 この“観光の島”が、今回ハンタウイルスの集団感染が起きたと疑われるクルーズ船の乗客を降ろす下船地として選ばれた。

医療体制や受け入れ能力などを総合的に判断した結果、テネリフェ島が乗客の下船地として決定されたとされる。

しかし、決定過程や理由についての十分な説明は尽くされたとは言えず、島民の間には反発が広がっていた。

「冷静な対応」呼びかけと島民の憤り

現地で取材を進める中で、まず印象的だったのは、島民の不安の強さだった。

この島では、多くの住民が観光業に生計を依存している。ホテル、レストラン、観光ガイド。新型コロナのパンデミックで壊滅的な打撃を受けた記憶はいまも生々しく残る。

 「また同じことが起きるのでは」
「観光客が減れば、生活が成り立たない」

 こうした声は各地で聞かれた。船が寄港する前日には、島民によるデモも行われた。

カナリア諸島自治州の旗を掲げて抗議の声を上げる島民
カナリア諸島自治州の旗を掲げて抗議の声を上げる島民

 一方で、政府側は冷静な対応を繰り返し呼びかけた。

スペインのサンチェス首相や、WHO(世界保健機関)のテドロス事務総長は、「乗客と島民が接触することは一切ない」と強調。安全確保の体制が整っていることを訴えた。

 その結果、島民の受け止めは大きく二極化していた。

強い危機感を示し受け入れに反対する人々と、少ない情報の中でも冷静に受け止める人々。

「ウイルス」を巡る空気感は、決して一様ではなかった。

クルーズ船「MVホンディウス号」
クルーズ船「MVホンディウス号」

対立は、住民レベルにとどまらず、政府と州の間でも、明確な温度差があった。

スペインのサンチェス首相と、カナリア州の知事は異なる政党に属しており、対応方針には政治的な緊張も横たわる。

州側は地元への影響を強く懸念し、政府の判断に対して慎重な姿勢を示す一方、政府はあくまで医療的な判断を優先し、迅速なオペレーションを進めたのである。

感染症対応という“科学の問題”である一方、裏には政治的対立も横たわっていた。

「情報発信」と「島民理解」の壁

船の到着前、現地メディアも同じ場所で取材を行っていた。筆者は彼らの取材を受けたのだが、その際の地元メディアからの質問が印象的だった。

「今回のオペレーションについて情報が十分に行政から発信されていると思いますか?」

自身も島民…人命優先なのは当然だが説明が足りないのではという
自身も島民…人命優先なのは当然だが説明が足りないのではという

その質問の真意を聞くとやはり彼らも取材を進める中で、島民の怒りの声に触れることが多く、いくら行政や機関が「安全に進める」と情報を発信しても、島民が納得出来る説明に行き着いていないと感じていたようだ。

船の到着直前…島内では「静かな対応」

 取材2日目、街中で目立ったのは、静かな「行動の変化」だった。

 薬局では、消毒液やマスクの売り上げが増加。数量としては爆発的ではないものの、普段は病気を患っているなど特定の人しか購入しないマスクなどを一般の市民が手に取る場面が見られた。

静かな変化が薬局では起きていた
静かな変化が薬局では起きていた

ある薬局の店員は、「在庫はたくさんあるし問題はないと思う。しかし、コロナ禍と同じようになってほしくない」と静かな緊張があることを語ってくれた。

また他の店舗では、全く売れないマスクが突然売れ始めたことで「嫌な予感を感じる」と話していたことが印象的だった。

消毒ジェルやマスクが「普通じゃない売れ方」だという
消毒ジェルやマスクが「普通じゃない売れ方」だという

表立ったパニックはない。だが確実に、“見えない不安”は人々の行動に影響を与えていた。

乗客の動線の完全隔離…現場では

そして取材4日目、下船オペレーションは、徹底した隔離体制のもと行われた。

使用されたのは通常の観光客が利用する港ではなく、工業用港湾。その中でもさらに限定された副港が使用された。乗客の導線は厳密に区分されていた。

乗客はバス乗車後、そのまま飛行機へ
乗客はバス乗車後、そのまま飛行機へ

乗客を運ぶバスも徹底している。運転席と客席はビニールシートで仕切られ、座席にも保護カバーがかけられていた。外から見てもその”慎重さ”が感じられた。

ウイルス問題が浮き彫りにした“分断”

しかし、こうした対策にもかかわらず、現場の不安は消えることは無かった。

特に反発が強かったのが港湾関係者。抗議デモに発展した。

「なぜこの島、しかもこの港なのか」そして「普段は仕事がないのに、なぜ危険な業務のときだけ呼ばれるのか」という切実な声も聞かれた。

技術者、清掃員など様々な港湾関係者が集まった
技術者、清掃員など様々な港湾関係者が集まった

行政は安全性を繰り返し説明していたが、そのメッセージは必ずしも現場まで届いていなかった。リスクの判断と現場の関係者が感じる実感の乖離が、強い不信感を生んでいた。

今回の一連の対応を取材して感じたのは、「分断」という言葉だった。

島民の中の意識の分断。中央と地方の政治的分断。そして、政策決定と現場感覚の分断。

ハンタウイルスという目に見えない脅威が浮き彫りにしたのは、感染リスクそのものより、社会の中に存在する見えない亀裂だったのかもしれない。

(執筆:FNNパリ支局長 陶山祥平)

陶山祥平
陶山祥平

FNNパリ支局長
2011年入社以来、ENGカメラマン、政治部(総理官邸・野党担当)、社会部(警視庁担当)、番組ディレクターを歴任。平昌・北京五輪では現地取材、「イット!」プログラムディレクター、演出などを務め2025年8月より現職。
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