明治時代、国民病として恐れられた「脚気(かっけ)」の撲滅に尽力し、後に「ビタミンの父」と称えられた宮崎県出身の医師・高木兼寛。自らの信念を貫き通した高木の波乱に満ちた半生を描いた演劇「須く、一歩進む」が故郷宮崎で上演された。舞台を彩ったのは、同じく宮崎にルーツを持つ俳優たち。時を超え、偉人の情熱が観客の心に火を灯した「里帰り公演」の様子を伝える。

 医療界の偉人を描く舞台

4月3日、宮崎市で桜が満開となったこの日、会場のメディキット県民文化センターには多くの市民が足を運んだ。

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高木は東京慈恵会医科大学や日本初の看護学校を創設するなど、日本の医療界に多大な貢献をした人物だ。しかし、一般には広く知られておらず、その業績を伝えたいという人々の思いが上演へとつながった。

「須く、一歩進む」作・演出:村田裕子、LiveUpCapsules

 脚気撲滅への困難な道のり

舞台は146年前の明治13年。

この時代、多くの兵士が脚気にかかっていた。海軍の軍医として国民病、脚気の対応を任された高木は、脚気の原因は、白米中心のバランスの悪い食事であるとみていた。

その検証に必要な予算の獲得を助言する内務卿・伊藤博文や、医療界の発展を支援する日本人初の女子留学生・大山捨松。
これらの役を宮崎県出身の俳優が演じ、地元ゆかりの偉人の物語に厚みを加えた。

 大山捨松役 川添美和さん(宮崎西高出身):
「宮崎でやっているんだな」と、ものすごく感じた。どんなことがあって、高木兼寛がこんなに宮崎で偉人とされているかは今回初めて知った。

伊藤博文役 堀之内良太さん(宮崎西高出身):
本当に申し訳ないんですけど(高木兼寛の知識は)お名前くらい。僕もこの演劇というか演劇・脚本で詳しく勉強したという感じ。

食事を洋食へ変更するなど、栄養改善によって脚気患者を減らそうと調査に挑む高木。

対して陸軍(森鴎外)は伝染病説を主張し、激しく対立する。

医学論争が繰り広げられる中、高木の思ったとおりの結果が出る場面では演技も熱くなる。

また、医学用語が飛び交う中、子供でも楽しめる演出が施され、観客は物語に引き込まれていった。

主演を務めた佐藤銀平さんは「(高木兼寛は)ものすごく頭のいい人なんだろうけど、情熱的にやりたいという僕の希望を演出家に話して、あとはいかにどういう風に自分にひきつけるかというのでやりました」と話す。

東京公演を経て実現した今回の里帰り公演。役者にとっても里帰り公演となり、会場からは大きな拍手が贈られた。

伊藤博文役 堀之内良太さん(宮崎西高出身):
自分が生まれ育って自分を育ててくれた人たちや地域の人に観てもらえるということが、言葉に出来ないですけどすごくありがたく、うれしく、ぐっときた。

公演は3回とも多くの人で埋まり、あわせて1642人が演劇を堪能した。

観客からは「信念を貫き通したんだなと、すごく感動した」「100年以上前の話でありながら現代でも共感できる部分が多く、感動した」「諦めずに進む姿勢が勉強になった」という感想が相次いだ。

100年以上の時を超え、再び光が当てられた高木兼寛の功績。医学的根拠を求めて一歩ずつ前へ進み続けたその姿は、現代に生きる私たちの心にも「諦めない勇気」として響く。

(テレビ宮崎)

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