東日本大震災の教訓を伝える釜石市認定の「伝承者」として、9歳から活動を続けてきた最年少の語り部が、2026年春、小学校を卒業した。3月11日生まれ、震災後に生まれた世代として命の大切さを自分の言葉で語り続けてきた12歳。卒業の日には、震災と向き合ってきた歩みと、未来へ向かう強い思いが重なっていた。
袴で迎えた小学校卒業の日
3月18日、釜石市に住む佐々木智桜さん(12)は、6年間通った鵜住居小学校卒業の日を迎えた。
「卒業式は絶対に袴を着たい」と自分で選んだピンク色の着物を、母の智恵さんに着付けてもらった。
一生に一度のハレの日。特別な装いで、震災後に高台に再建された校舎へ向かう。慣れ親しんだ道を、足元に気をつけながら一歩一歩進んだ。
3月11日生まれの智桜さん
智桜さんが生まれたのは、東日本大震災から3年後の2014年3月11日。
震災から15年となった2026年3月11日、この日は12歳の誕生日でもあった。
震災では、祖母と伯母が津波の犠牲となった。智桜さんは追悼施設を訪れ、慰霊碑に刻まれた2人の名前の前で静かに祈りを捧げた。
「みんなに『おめでとう』って言ってもらえる日ではあるけれど、亡くなった方を追悼する、悲しいけれど大事な日」と語る智桜さん。
誕生日と震災の日が重なる3月11日は、毎年さまざまな思いが胸に浮かぶ。
最年少9歳で伝承者に
そんな智桜さんが、震災の教訓を伝える「伝承者」として活動を始めたのは9歳の時だった。
当時、智桜さんは、「みんなに教えられていていいなと思って、私も伝承者になりたいなって思ってなりました」と話していた。
「伝承者」とは、釜石市が認定する震災の語り部で、研修会を受講することで認定される。
市内の伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で職員として働く母・智恵さんの姿を見て、自分も何かを伝えたいと思うようになり、2022年12月、母と一緒に研修を受講し、認定を受けた。
現在、釜石市で認定されている伝承者は62人。その中で、震災後に生まれたのは智桜さんだけで、最年少だ。
母の智恵さんは、「娘が伝承者になるとは思っていなかった」と話す。
そのうえで、「3月11日生まれだからといって、運命的なものは背負わないで伝承者になりたいなら頑張ってほしいし、もしこれから何かあっても私たちで支えたい」と思いを語った。
語り部としての第一歩、防災への思い
語り部としてデビューしたのは2023年3月。智桜さんは堂々と自分の言葉で命の大切さを伝えた。
佐々木智桜さん:
命が一番大事だということ。逃げるのが遅くなると命をなくしてしまうかもしれないから、早く行動してほしいです。地震が起きた時は、何も持たなくていいからとにかく逃げて。命さえあればいいんだよ。
智桜さんのまっすぐな言葉に、訪れた人たちはじっくりと耳を傾けていた。
小学校に通いながら、語り部としての活動は20回以上に及んできた。
「語り部をしていたら、もっと災害のことを勉強したいなって思うようになった」と智桜さんは話す。
災害への関心は年々高まり、市の避難訓練にも積極的に参加。2024年には10歳で、防災に関する知識や技能を持ち試験に合格した人に与えられる「防災士」の資格を県内最年少で取得した。防災・減災への学びを深めてきた。
震災から15年の節目となった2026年3月11日には、釜石市内の旅館で開かれた朗読会に参加し、市内の小中学生から寄せられた鎮魂のメッセージを読み上げた。
成長を実感した節目と母の思い
卒業式では、会場に入る時は緊張した面持ちだったが、卒業証書は両手でしっかりと受け取っていた。その姿を、母の智恵さんは涙を流しながら見つめていた。
式が終わると、2人は手をつないで学び舎を後にした。
母・智恵さんは「入学式も卒業式も手をつないで歩いたんですけれど、すごく目線が近くなって、大きくなったんだなと思った」と智桜さんの6年間の成長を感じていた。
そして、「(伝承者は)私たちがやってほしいって言ったわけではないけれど、自分でその道を選んでいるので前向きな気持ちは忘れずにこれからも学んでいってほしい」と思いを語った。
未来につなぐ“命”の教訓
これまで親子二人三脚で歩んできた伝承者としての日々。
智桜さんの将来の夢は、語り部を始めた3年前から変わっていない。
佐々木智桜さん:
いのちをつなぐ未来館で働きたい。命が一番大事だということを伝え続けていきたいから。
震災後に生まれた世代として伝えられることについて聞くと、「未来のことについて話せるのが一番のこと」と答えた。
どんな未来を話していきたいかという問いには、「明るい未来。誰もが全員助かる未来」と力強く語った。
東日本大震災を風化させたくない――。
3月11日生まれの最年少の伝承者、佐々木智桜さん。未来の命を守るために、これからも、自分の言葉で震災の教訓を語り継いでいく。
