東日本大震災から15年。幼くして両親を亡くし、祖母や公的な制度などの支えを受けて成長した青年がいる。岩手県陸前高田市出身の及川晴翔さん(21)は、震災の記憶と向き合いながら自らの生き方を模索している。様々な思いや葛藤を抱えて過ごしてきた15年。支えてくれた存在へ感謝を胸に、今、そうした支援から離れ、自ら選んだ道を歩み始めようとしている。
大学にもう1年残る決断
及川晴翔さん(21)は、地元の岩手県陸前高田市を離れ宮城県仙台市の大学に通っている。
現在は大学4年生で、自分の生き方を模索している。
及川晴翔さん:
急いで頑張って卒業しても、その後がどうなるか分からないので。それだったら少しだけ自分に余裕を持ったほうがいいかと思って。
時間をかけて進路を考えたいとの思いから、あえてもう1年大学に残ることにした。
「両親がいたら相談ができたのかもしれない」…ふと、そう考えることがあるという。
「『しっかりしろよ』と喝を入れられたと思うけれど、自分が困ったときは道を示してくれていたと思うので、アドバイスをもらい、もっと早く進路を決めて、そっちに真っすぐ進むことができたなら、卒業のタイミングは変わったと思う」と話す晴翔さん。
晴翔さんは、胸の奥にある様々な思いや葛藤を抱えながら、この15年を歩んできた。
“両親が見つけてくれる”と信じて
震災発生直後、当時6歳だった晴翔さんは両親が行方不明のなか、兄の佳紀さん(当時9歳)と共に小さな体で避難所の手伝いに励んでいた。
共に避難した母方の祖母・五百子さん(当時67歳)は、健気な2人を見守っていた。
祖母の五百子さんは「頑張っているから、よろしいです。まだお母さんとお父さんの顔を見ていないから」と涙をこらえながら話した。
避難所に笑顔を振りまいていた2人。しかし、その表情の裏には切実な願いがあった。
兄・佳紀さん(当時9歳):
(両親は)来てくれると思う、頑張っていたら…
「目立っていればお父さんとお母さんが見つけてくれる」そう信じて、明るく振る舞い続けていたのだ。
しかし、父・徳久さん(当時39歳)、母・昇子さん(当時39歳)は、その後遺体で見つかった。
祖母の愛に支えられて
当時の晴翔さんはまだ甘えたい年頃の小学1年生だった。当たり前の日常が失われた中、祖母の愛情のもとで真っすぐに成長してきた。
その後、地元の高校へ進学した晴翔さんは、部活動などで充実した日々を送っていた。
晴翔さんたち兄弟を引き取った祖母の五百子さんにとって、それは“二度目の子育て”だ。
兄の佳紀さんが進学のため家を出てからは、少しだけ広くなった災害公営住宅で晴翔さんを支え続けた。
祖母への気遣いと自立への意識
震災から11年が経った2022年、高校3年生になった晴翔さんに変化が現れていた。
朝食には手軽に食べられるパンを選ぶようになったのだ。五百子さんに少しでも負担をかけないようにとの配慮からだった。
晴翔さん(当時17歳)は「慣れている。部活をやっていたときはちょっと足りなかったけど」と優しく笑顔で語った。
大学への進学が近づく頃、晴翔さんには自立に向けて“親離れ”を意識する様子が伺えた。
そんな中でも晴翔さん(当時17歳)は、「(五百子さんは)俺と兄ちゃんの面倒を、ほぼ1人で見てきた。兄ちゃんも仙台に行って、俺も今年の春から仙台に行ったら、やり切った感が出て倒れたりしないか心配」と話し、祖母を気遣った。
進学のため仙台へ引っ越しの日。五百子さんは、晴翔さんの背中を静かに見送った。
車の窓を全開にして五百子さんに手を振る晴翔さん。
「気をつけて」と手を振り返す五百子さんの姿があった。
仙台での大学生活と帰省の喜び
仙台では友人もでき、順調な大学生活を送る晴翔さんだったが、常に気にかけていたのは1人で暮らす五百子さんのことだった。
晴翔さん(当時18歳)は「あっちも年なので年齢からくる体調の変化や、1人になって寂しくしていないかとか、たまに電話をして確認している。声色的には明るい感じで話してくれる」と話す。
休日などに晴翔さんが帰省すると、五百子さんは顔をほころばせる。
「二十歳のつどい」の前日には、晴翔さんの好きな豚汁が食卓に並んだ。
及川晴翔さん(当時19歳)
普段仙台にいて豚汁を食べることが全然ないので、たまに定食屋に行ってセットで頼むくらい。でもばあちゃんがつくってくれたのが一番おいしい。
成人式を翌日に控えた晴翔さんは、五百子さんに「あしたで私、成人式ですよ」と笑顔で話した。
「おめでとう」と返す五百子さんに、晴翔さんは「ばあさんのおかげです」と感謝を伝えた。
その言葉に、五百子さんの目に涙があふれた。
及川晴翔さん:
たくさん迷惑かけてきたけど。
五百子さん:
なんも、なんも…
「二十歳のつどい」では、紋付袴に身を包んだ晴翔さんは「良かったなと思う。ちゃんと立派な姿を見せられて」と思いを語った。
その成長した姿は、五百子さんにとって何よりの喜びだった。
支援を離れ新たな一歩
2026年2月、晴翔さんは春休みを利用して再び陸前高田市へ帰省した。
向かったのは、震災で亡くなった人たちを悼む刻銘碑。父・徳久さんと、母・昇子さんの名前の前で近況を報告した。
及川晴翔さん:
4年間やってきて、プラスでもう1年。進路選択や将来設計を頑張ると伝えた。
そして、新たな決意も伝えた。
これまで晴翔さんは、震災遺児を支援する様々な制度のもとで生活してきたが、その支援が3月で終わることもあり、これからはアルバイトで学費と生活費を賄うと決めた。
祖母の支えや震災後の支援制度から離れて、自分の力で歩き始めようとしている。
及川晴翔さん:
自分の責任や自己管理を、今までの4年間以上にしっかりしなければいけない。この15年間で助けになってくれた人や支えてくれた人はたくさんいるので、そういう人たちに少しでも自分が頑張っている姿や、元気な姿を見せられるよう、頑張りたいと思う。
支えに応えるために
そんな晴翔さんに、82歳となった五百子さんは変わらぬ愛情を注いでいる。
晴翔さんは、五百子さんにも今の思いを伝えた。
及川晴翔さん:
あと1年頑張って、できるだけいいところに就職ができるよう頑張るので、応援してくれるとありがたいです。
五百子さんは、「頑張って」と静かにエールを送った。
東日本大震災からの15年。
数え切れない思いを抱えながら歩んできた晴翔さん。
支えてくれた存在に応えるために、新たな決意で歩みを進めようとしている。
