2025年は戦後80年の節目の年でみなさんも戦争や平和について考える機会が多かったと思います。しかし、当時を知る戦争体験者が益々少なくなっていることが課題になっています。そんな中、物言わぬ証言者・戦争遺跡について伝える取り組みが広がっています。平和への思いを次世代へつなぐ人たちを取材しました。
南国市の高知龍馬空港。終戦1年前の1944年、ここに高知海軍航空隊が開設され軍用機の飛行訓練が行われていました。その名残が田園風景の中に突如現れるコンクリート製の建造物、戦争遺跡の掩体です。掩体は敵の攻撃から軍用機を守る格納庫で鉄筋コンクリートや木などを材料に40基ほどつくられ、戦後80年を経た今も7基が残っています。
この掩体のガイドをしているのが南国市に住む森本世史子さんです。
森本世史子さん:
「これが1号掩体で、終戦の年の3月19日にアメリカベース(軍)のグラマンに攻撃された。表側に弾痕が60個ぐらいついてます。上にもあるでしょ、でこぼこになってるところが」
兵士数人が犠牲になったという空襲の跡です。30年前、掩体の近くに移り住み自分の暮らす場所がかつて戦場だったと知った森本さん。1953年生まれの戦争を知らない世代ですが、当時の状況を学び証言を聞いて掩体が背負う“負の歴史”を伝えています。
森本世史子さん:
Qこのノートは…
「やっぱり戦争に関わるお話をするので、事実に間違いがあってはいけないので私の参考図書。できるだけ正確なことをお伝えしたいので」
太平洋戦争末期、アメリカ軍は飛行場があったこの場所を度々、攻撃してきました。兵士だけでなく掩体をつくるために駆り出された中学生や女性たちも命の危険にさらされていたのです。
中学生の時、掩体づくりに関わった藤本眞事さんは森本さんの先輩ガイドです。
藤本眞事さん:
「見上げてみて、みなさんがどうやってつくったか。そしてどんな悲劇があったのか」
藤本さんは戦争体験者としてその現実を語ってきました。
藤本眞事さん:
「(軍人に)棒でバンバンって殴られた。そのときのセリフいまもよう忘れん。『お前らの命は一銭五厘』やと。召集令状出すのに貼らないかん切手は一銭五厘の切手でお前ら何ぼでも集められる」
掩体を守り、後世に伝える活動をしてきた森本さんと藤本さん。2025年から体調不良で活動が難しくなった藤本さんの思いを森本さんはつなぎたいと思っています。
森本世史子さん:
「藤本さんがガイドされる時は圧倒的熱量ですよね。溢れんばかりの思いが伝わってきますよね。藤本さんがおっしゃった通り真似して言ったとしても私は経験者じゃないので、それって嘘になってしまう。だから私は(戦争を)経験してない世代は世代としてお伝えすることが、上手じゃないけれども誠実かなと」
何かひとつでも聞く人の心に残るガイドがしたいという森本さん。掩体をつくる際水路や農道をつぶさないよう農民が軍に願い出た時の証言を伝えます。
森本世史子さん(ガイドの様子):
「何を言うかお前たちは。『敵は一刻も待ってくれないぞ、そんなことが聞けるかお前たちは非国民か、二度と言うな』と追い返されたそうです。農家の人にしてみたらささやかな願い、まっとうな願い」
終戦の数カ月前からは戦況がさらに悪化。掩体を使っていた練習機の白菊が特攻隊として出撃し、練習機さえ戦場に駆り出す無謀な作戦によって高知から飛び立った52人の若者が犠牲となりました。
森本世史子さん:
「忘れていいこともいっぱい世の中にあるけど、絶対どんなことがあっても忘れたらいかんことがある。それはここでたくさんの人が傷ついたってことよね。あるいは傷つけたってことですよね。1つでもひょっとその方に心に残ってこんなことがあったがやね、知らざったっていうような思いが、すごく大事じゃないかなと思いますね」
戦争遺跡・掩体を後世に伝える活動はいま若い世代にもつながっています。2025年10月、南国市が戦後80年に合わせて開催した企画展で掩体の模型が展示されました。作ったのは香美市在住の高校生・青木伸親さんです。
青木伸親さん:
「昔はこんなんやったよって分かって知ってもらえたら嬉しいですね。一番大変だったのはコンクリートを固めるところです。実際に木を押し当ててつくられたみたいなリアルな作りになってるので」
飛行機などのプラモデル作りが大好きな青木さん。幼いころ祖母の家の近くで見た掩体を作ってみたいと南国市から図面の提供を受け、約3カ月かけて再現しました。
模型を見た人:
「祖母があまり戦争の話をしたがらなかった。もうちょっと聞いちょったらよかったなとか思うこともあるので。私自身も(戦争を)知らないかんし目に見える形で、これつくった子も本当にすごいなと思って」
最初は趣味として楽しんでいた模型づくり。でも、その過程で青木さんは掩体について学び特攻隊の悲劇など戦争の現実を知りました。
青木伸親さん:
「(特攻機から)爆弾を切り離そうとしても紐でつながってて。生きて帰れない…。すごいつらかったんだろうなって思います」
青木さんは掩体をもっと知りたいとツアーに参加しました。
青木伸親さん:
Qすごいよね、80年前のものが残ってるって
「地域住民の人とか、これを維持してくれた人のおかげでこんなきれいに残ってるんだと思います。(戦争があったことを)忘れないために伝えていくのが大事だと思っているんで。この掩体の展示を通して戦争があったってことを知ってもらえる人が1人でも増えたら嬉しいです」
青木さんの模型は、いま南国市の埋蔵文化財センターに展示され平和教育のために活用されています。
「掩体を後世につなげたい」という森本さんの思いは大きく広がっています。2025年12月、南国市で開催された掩体ガイドの養成講座に40代から80代までの10人以上が参加しました。
ガイド講座参加者:
「自分は体験してないものをどういう風に分かりやすく伝えていくかっていうことは本当に本当に課題で。ここで聞いたことがちょっと心に残ってくれたらなっていう思いでガイドしたいと思ってます」
森本世史子さん:
「この事実を教訓にして自分のこれから先の未来にそれをどう生かすか。ガイドを希望される方が一人でも増えるということは自ら勉強しようという意思がある方が増えるということ。先が楽しみですしこれからだと思います」
「二度と戦争を起こさないために」と先人が残してきた掩体。この春から新たな仲間たちが平和への思いを次世代へつなげていきます。