車中泊で全国を旅する女性画家がいる。その女性画家が1年間の定住先に選んだのは、新潟県弥彦村にある国登録の有形文化財『旧鈴木家住宅』だった。大作を描き上げた夏から季節は秋へ…孤独な創作期間で自分を見つめ直し、新たな境地へ歩みを進める女性の心情に迫った。
古民家で巨大アートに挑んだ女性画家
新潟県弥彦村にある国登録の有形文化財・旧鈴木家住宅で筆を握る女性画家、アニー・レナ・オーバマイヤーさん(30)。
季節は秋。弥彦で暮らし始めて半年が経ち、広い古民家でキャンバスに向かうことにも慣れてきたようだ。
アーティストが一定期間、特定の場所に滞在し、創作活動を行うアーティスト・イン・レジデンス。それを旧鈴木家住宅で行うことになり、2025年6月、アニーさんは1年間の移住を決意した。
それまで5年近く車中泊で全国を旅していたアニーさんにとって、自然豊かな弥彦で暮らせることは、画家として良いインスピレーションを受けられる経験だと感じたようだ。

移住から半年が経過し、アニーさんは「特に午前中は日差しがばっと入って神聖な感じがするし、弥彦大神と書かれた掛け軸の前なのでシャンとして描かなきゃと思う」と、彼女だけの特別なアトリエを堪能しているようだった。
毎日6枚は描くと決めているというアニーさんだが、全ての絵が未完成の状態で完成した絵はまだ一枚しかない。
それは、まだセミの鳴き声が響く夏に描いた、約20畳に広がる“夢”を題材にした絵だった。

これはプロジェクト立ち上げのために行ったクラウドファンデングの返礼品になるもので、分割して支援者に届けられる。
アニーさんは「この大きい絵の全貌を誰も知らないまま小さな一枚が届くって、夢の断片を少し覚えているけど全体を思い出せないみたいな、そんなところとシンクロすると思った」とタイトルのイメージを語った。
広がるアートの輪 分割した絵を支援者の元へ
巨大な絵は2カ月かけて完成の時を迎え、分割して支援者の元へ直接届けられた。弥彦の図書館やコーヒーショップなど、絵を受け取った支援者にはおのずと笑顔が広がる。

忘れ去られていた弥彦の古民家を拠点にアートの輪が広がっていった瞬間だった。
長岡市でカフェを営む支援者の男性は「素敵なプロジェクトやっているが、それで興味を持って弥彦に住みたいなと思う人が増えたり、若い人が集まったりすればいいと思う」と期待を寄せる。

人々の手に渡り、それぞれの生活に寄り添う夢の断片は、弥彦とアニーさんをつなぐ大きな一歩となっていた。
秋の弥彦で創作イメージ膨らませる
そして、季節はめぐり秋。アニーさんは、新たな創作のヒントを求め行う弥彦公園でのもみじ狩りが日課になっていた。

「弥彦にいる間に弥彦山を大きく描いてみたくて、それの色合いを散歩中に見つけて、吸収している感じ」
気になる草花を見つけて写真に収め、創作のイメージを膨らませていた。
「私は特に色をよく使う絵描きだから、一枚の花の中に複数の色が入っているんだという驚きがある」
柿を収穫し“干し柿”づくりにも挑戦「絵と一緒で迷ってはダメ」
また、身近なところでも新たな発見があったようだ。やってきたのは、古民家の裏庭。そこには鮮やかなオレンジに色づいた柿がたくさん実っていた。

「裏庭でとれたこの柿を干し柿にしたい」と意気込むアニーさん。初挑戦にも関わらず、収穫に一切迷いがない。
「絵と一緒。筆と一緒。迷っちゃダメ」と次々と柿を収穫していく。
収穫を終えたら一つ一つ皮をむき、試行錯誤しながら自己流で柿を紐にくくりつけていった。少し独創的な干し柿が古民家の縁側に秋の趣を添えていた。

アニーさんは「車で暮らしていた時は日を待ったことはできない。季節の変化を1箇所で感じられる良さはこういうところにある。糖度が増していくのを見守りたい」と優しい笑顔を見せていた。
「私の描きたいものは?」自問自答する中で蘇った記憶
弥彦で過ごす初めての秋をかみしめながら、この日は、26年5月に開く自身の個展に向けて絵を描き続けていた。

この日描いていたのは“恥との決別”を表現したという作品。
「自分の内面と向き合うことをすごくしていて、愛される絵じゃないといけない。人に好かれるものを作らなきゃ。じゃないと絵描きとして自分の価値がないと思って自由に描けない期間があった」
その時の日記に残る「私の描きたいものはなんだろう」という静かな心の叫び。自問自答する中で一つの記憶が蘇ったという。
「中学の頃に同級生と仲良くできなかった記憶に当たって、同じグループの子から無視されて、クラス全体から無視されて、お弁当を食べる場所がないみたいな」
10年以上前の「嫌われる私でいたら自分の居場所がなくなる」というトラウマが、現在の「売れるものを作らなくては」「愛されるものを作らなくては」という心の縛りになっていたようだった。
しかし、アニーさんが創作において大事にしていることは“自由であること”。
「同級生の中で浮いている自分が恥ずかしいという感覚。この恥は自分のものではなくて、人から自分に与えられたものだから、それを返すという想像をしてみたときに、この絵のインスピレーションが湧いた」と振り返った。
「影にも目を当てられるようになった」移住生活で得た学び
女性の視線の先にあるのは、人から植え付けられた恥ずかしいという感情。この絵には自分を縛ってきた恥と決別しようとする強い意志が込められていた。

アニーさんは「今は本当に自由になった。この自由になったきっかけは、記憶としておこうと思って絵にしている最中」と、晴れやかな表情を見せていた。
一つ一つ、丁寧に、深く…心の奥に潜む感情をすくい上げるように自分と向き合う日々が続いている。
最後には「自分の思想的な弱さ、傷を絵にするのは自分自身と向き合うことをそのまま絵にしているようなもの。光の部分だけじゃなくて、その光を濃くしている影にも目を当てられるようになったのは、弥彦で静かな1人の時間を過ごさせてもらっているから」と移住生活で得られた学びを語った。
「変化はいつだって気づきから始まる」過去の痛みと向き合うことで得た小さな気付きを糧に新たな境地へ進み始めている。
