「特別軍事作戦」と称してウクライナへの軍事侵攻を続けるロシアで、国産のメッセンジャーアプリが急速に広がっている。ロシア政府はWhatsApp(ワッツアップ)など海外発のSNSや通信アプリの規制を強化し、自治体や企業に対して国産アプリでのサービス提供を推奨している。通信の自由をめぐり、国民の日常が静かに変わりつつある様子を取材した。
ロシア政府“推し” 国産アプリ「MAX」の拡大
2025年3月、ロシアのIT大手「VK(フコンタクテ)」が国産のメッセンジャーアプリ「MAX」をリリースした。12月17日時点の登録アカウント数は7500万超。登録数ベースではロシアの人口の約半数に相当する規模となる。
MAXは政府の“推しアプリ”だ。19日に首都モスクワで行われた年末恒例の大規模記者会見では、事前に募集した国民からの質問の受付に、初めてMAXが活用された。大統領府によると、寄せられた質問は300万件を超え、このうち約50万件がMAXを通じたものだった。
プーチン大統領は会見で、「ロシアのデジタル分野では、これまでメッセンジャーだけが欠けていた。MAXによって完全なデジタル主権を達成した」と述べ、「真のデジタル主権を持つ国はアメリカ、中国、そしてロシアだ」と自信を示した。
さらに、安全保障上の理由から外国のシステムでは提供できなかったサービスを国民に提供できるようになるとして、MAXの開発は「間違いなく正しい一歩」だと強調した。国家主導のデジタル基盤に位置づける姿勢がにじむ。
こうしたなか、ロシア下院は12月中旬、国内の住宅管理会社や住宅・公共サービス関連機関に対し、居住者との連絡にMAXの活用を義務づける法律を可決した。国民の日常的な連絡手段が国産アプリを通じて行われるよう法制化も加速している。
海外SNSからの切り離し加速「WhatsApp」も規制対象に
2022年2月にウクライナへの特別軍事作戦と称する侵攻が始まって以降、当たり前のように使われていた海外SNSや通信アプリが、ロシアで次々と利用できなくなった。
フェイスブックやインスタグラム、X(旧ツイッター)に始まり、2024年以降はViberやSignal、Discordが規制対象に加わった。さらに2025年夏以降、矛先はロシア国内で利用者の多いワッツアップやテレグラムにも向けられている。
夏以降、音声通話機能の制限や接続の不安定化が目立つようになった。12月現在、首都モスクワでは、通常のインターネット回線は音声通話やビデオ通話はつながりにくく、特に極東ウラジオストクやハバロフスクではメッセージの送受信にも影響が出ている。機能制限や通信品質の低下を通じて、徐々に利用環境が狭められていく。「気づいたら使えなくなっていた」と感じる状況を作り出すのが、これまで繰り返されてきたロシア当局の常とう手段だ。
ロシア政府高官の間でも利用者が多いワッツアップやテレグラムは、これまで全面的な遮断を免れてきた。しかし、通信監督当局のロスコムナゾールは、「詐欺の温床」や「テロや犯罪への悪用」を理由に、さらなる制限の可能性を示唆している。一方、国産アプリMAXについて当局は「安全で信頼できる国内サービス」と強調するが、市民からは情報の抜き取りや監視を不安視する声も少なくない。
「VPNがなければインスタグラムもフェイスブックも見られない。正直、生活に支障が出る」
こう憤るのはモスクワに住むドミトリーさん(41)だ。MAXには登録したものの、「データが抜かれるのではないか」との懸念から利用はしていないという。
一方、中部タタールスタン共和国に住む主婦(44)は、住宅の管理会社から「2026年1月以降の連絡はすべてMAX経由になる」と通知を受け登録した。「個人情報はすべて把握されていると思う」と不安を口にする。
モスクワ在住のアナスタシアさん(41)も「必要に迫られて登録した」と話す。子どもの学校からの連絡がMAXでしか受け取れなくなり、登録を余儀なくされたという。
これに対し、10代から20代の若い世代は「慣れているサービスの方がいい」「MAXを使う必要性を感じない」と話し、海外SNSを利用し続ける人が目立つ。
VPN利用は3割超…政府高官も使う「裏のインフラ」
海外SNSの規制が強まる一方で、ロシアではVPNサービスの利用が広がっている。当局が閲覧を制限する海外SNSやサイトにアクセスするためで、通信アプリのワッツアップも、VPNを利用すると、安定して通話できるケースが多い。当局はVPNも規制対象として遮断を進めているが、実際には多くの人たちが利用する実態がある。
イルミネーションがきらめくモスクワでは、女性たちがカメラを構え、撮影する様子があちらこちらでみられる。ワッツアップで友人に写真を送ったり、インスタグラムに投稿したりするという。
当局が規制しているはずの海外SNSの利用は、政府高官の行動にも表れている。
アメリカとの和平交渉のキーマンとされる、ロシア大統領特使キリル・ドミトリエフ氏は、Xを通じた発信を続けている。また、ドミトリー・メドベージェフ前大統領も、侵攻以降、Xなどで強硬なメッセージを繰り返し、存在感を示してきた。
25年11月には、トランプ政権のスティーブ・ウィトコフ特使と、ロシアのウシャコフ大統領補佐官との通話内容がアメリカメディアで報じられた。通話には和平交渉をめぐるやりとりが含まれていたとされ、ウシャコフ氏は「意図しない形で流出した」と強く反発。そのうえで、「一般的にワッツアップの会話は、誰でも傍受できる可能性がある」と指摘した。
政府高官が海外SNSを手放しておらず、VPNがロシア社会において「裏のインフラ」として定着している実態を示している。
ロシアの独立系世論調査機関「レバダ・センター」によると、2025年3月時点で、36%が定期的または不定期にVPNを利用した経験があると回答した。ただ、VPNそのものも規制の網にかけられていて、利用環境は不安定さを増している。
ネットは“戦場の一部”に…通信制限が変える日常
ウクライナ侵攻の長期化で、ネット空間は“戦場の一部”になった。
前線ではドローンの運用や指揮・統制に通信網が使われ、ロシアとウクライナ双方で軍事ブロガーらがSNSで戦況を分析し、自国の優勢を強調する。一方、一般市民が攻撃による被害状況などを撮影して投稿する行為は厳しく制限され、削除や摘発の対象となるケースも出ている。
SNSやアプリの規制にとどまらず、地域によってはモバイル通信そのものが不安定になったり、遮断されたりする事例も増えている。西部ベルゴロド州や南部ロストフ州など前線に近い地域では、「ドローン対策」を理由に通信が遮断され、特定の国内サイトだけが使える「ホワイトリスト方式」が導入された。
制限は前線地域に限らない。首都モスクワから約180キロ離れたトゥーラ市では、屋外の通信が日常的に不安定となっている。市内の店ではタクシーの配車アプリや電子決済端末が影響を受けているが、地元住民は「不便だけど、これがいまの日常」と話し、通信障害を織り込んだ暮らしが定着しつつある様子だった。
首都モスクワでも、対ドイツ戦勝記念式典が行われる5月9日前後には、屋外での通信が遮断されるのが恒例となっている。安全対策を理由とした措置ではあるものの、市民生活に影響を及ぼす広域の通信制限が繰り返されることへの懸念を指摘する声も少なくない。
国産アプリ「MAX」の誕生で、ロシア当局と国民を結ぶデジタル回路の再設計が進んでいる。
どのアプリを使い、どの情報に触れ、誰とつながるのか。
その選択肢は戦時下で静かに狭められている。
※ロシア当局は、FacebookやInstagram、WhatsAppを運営する米Meta社を「過激派組織」に認定し、国内での活動を禁止している。
