全国大会常連校で日本代表選手も輩出してきた名門・川俣高校フェンシング部。福島県の小さな町で、元オリンピック選手による指導や地域全体の熱い支援を受けながら、高校生たちが世界を見据えて剣を振るう。30年の歴史を持つフェンシングの町は今、「地域みらい留学」という新たな取り組みで、県外からも才能ある若者を迎え入れている。
フェンシングの名門・川俣高校
全国大会常連で日本代表選手も輩出してきた名門・川俣高校フェンシング部。3カ月後に迫った全国大会に向け汗を流していた。
主将の齋藤譲示さん(2年生)は「東北大会で1位を取って、全国大会でチャンピオンを取っていきたいと思っています」と意気込む。
中世ヨーロッパの剣術が起源の「フェンシング」は、3つの種目に分かれている。
敵の胴体を剣で突く「フルーレ」。頭から足の裏まで体の一部であれば、どこでも攻撃可能な「エペ」。上半身に対して、突きだけでなく、斬る動作も認められる「サーブル」。
精密さやスピードなど、選手の特性で得意種目が分かれる。
国体きっかけに根付く
川俣町でフェンシング文化が産声をあげたのは、1995年に開催されたの「ふくしま国体」。競技会場に選ばれたことがきっかけだった。
中学校では福島県内唯一の常設のフェンシング部があるほか、スポーツ少年団も活動していて幼少期から競技に親しむ環境が整えられてきた。
未来のメダリスト育成へ
2025年12月5日、川俣高校を訪れたのは元オリンピック選手で、日本代表監督を務めた経験もある橋本寛さん。実は、町にフェンシングを広めた人物の一人だ。
「町の人たちも、なかなかフェンシングというものを理解していなかったと思う。徐々に町民の皆さんに協力していただけるような状況になっていった」と橋本さんは振り返る。
ふくしま国体開催当時、川俣町役場の職員で、福島県代表として出場した橋本さん。現在の拠点は東京だが、たびたび町を訪れ未来のメダリストの育成に力を入れている。
橋本さんは「昔も今も変わらず純粋にフェンシングにうち込んでいるのは、本当にうれしい。もっともっと日本代表が取り組んでいるようなことを、もっと選手たちに伝えていけたら」と語る。
全国から集う若者
いまや町の特色となったフェンシング。新たな取り組みも始まった。
全国の公立高校の中から、自分の興味関心にあった高校を選択できる「地域みらい留学制度」。川俣高校は、2025年度からこのプログラムを導入し、福島市出身の大澤与朗さんと神奈川県出身の齋藤創司さんを1期生として迎えた。
2人は、町が新たに整備した学生寮で生活している。
大澤与朗さん(1年生)は、「さらにフェンシングの実力を伸ばしたいと思って入った。寮が無かったら通学とかが厳しいので、多分違う高校に行っていたと思う」と話す。
また齋藤創司さん(1年生)は「フェンシングは、神奈川では全然聞かないのでやってみたいという気持ちがあった。フェンシングは楽しい。新しい発見や仲間のサポートもあるので楽しい」と話した。
地域ぐるみの支援
高校生活を支える栄養満点の食事は、すべて手作り。町と町内の企業が全面的にサポートしている。
1年生の大澤さんは「高校生だけじゃなくて、地域の人々とつながって何かやるのが、すごくあたたかくていい町」と話す。
川俣高校フェンシング部の佐藤篤志監督は「広く選手を集めて、新入生が来た際にはのびのびとフェンシングをやって、思い思いに成長していってほしい」と語る。
町が育んできたフェンシングという文化。地域の人の温かさに見守られながら高校生たちはきょうも剣を振るう。
(福島テレビ)
