ハーンが泥酔した理由は?
この後、しばらく出雲大社門前町に滞在して地元の夏祭を見物した。そして、8月4日には「千家氏ニ招カレ、天神祭ニ参拝シ、豊年踊、盆踊リ観ル。帰ルトキ二時。」(『西田千太郎日記』)。
千家宮司の屋敷を再訪するのだが、この時にはセツも同行し、その後に大社境内で催された天神祭や豊年踊りにも参列した。“妾”が一緒に宮司の屋敷に入り、催しの招待席に堂々と座れるものか?あきらかに“正妻”として遇されている。
おそらく千家宮司に招かれた7月29日の饗応の席で、ハーンはセツとの関係について打ち明けたのではないだろうか。妾ではなく妻であり、いずれ正式に結婚するつもりだ。と、千家宮司もそれを好意的に受けとめた。でなければ、セツが宮司の屋敷に招かれることもなかったはず。饗応の席でハーンが上機嫌になり泥酔した理由もそれか?
ハーンの日本語能力でそれを説明するのは難しい。通訳した西田もここに至ってすべてを理解したはず。
西田の扱いが雑過ぎないか!?
8月7日には島根半島西端の日御碕(ひのみさき)神社を参拝し、小野尊光宮司の接待を受けている。宮司の妻はセツの従姉妹だった。縁結びの出雲大社で“結婚式”、親族の宮司夫婦による接待の席が“結婚披露宴”。そんなふうにも考えられる。
そして、ここに至ってついに西田の心境にも変化が起きる。「ヘルン氏ト日御碕神社ニ詣ズ。舟中景色ヨシ。宮司小野氏(セツ氏ノ緑家)方ニ午飯ノ饗応ヲ受ク。」(『西田千太郎日記)』と、日記にセツの名前が現れた。いないものとして扱ってきたが、ついに、その存在を認知した。妾ではなく正妻であれば、苦慮することなく普通につきあえる。見て見ぬふりをする必要もなくなったということだろうか。
日御碕神社での“結婚披露宴”を終えた3日後の8月10日になると、一行は松江に帰っている。夏休みの1カ月間を予定していたハーンと西田のふたり旅はここで終わり。その3日後、8月13日にハーンとセツは伯耆(鳥取県西部)へ旅立っている。残りの夏休みはふたり水入らずで“新婚旅行”というわけ。一方、ハーンたちが新婚旅行にでかける前日の8月12日の西田の日記には、
「大阪ニ向ケ出発ス。」
と、このひと言だけが書いてある。
ちょっとスネてるような感じが、しないでもない。 夏休みはまだ2週間も残っている。暇を持て余し、仕方なく関西方面へのひとり旅に出かけたようだった。
ハーンの心変わりで旅行日程を変更して“結婚式”と“結婚披露宴”が催されることになり、のんびり旅を楽しむつもりだった西田も、それにつき合って奔走した。そのあげく、用済みになった彼を放置して、ふたりは新婚旅行にでかけ…。そういったふうに考えると、西田の扱いが雑過ぎて気の毒。彼も内心ではムカついていたのでは?
ちなみに、この後の彼の日記を見てもセツの名前はほとんど出てこない。以前のように彼女をないもの扱いはしてないが、それでもあまり絡みたくないといった感じも、見てとれたりする。
旧藩時代のわだかまりがまだ残っているのだろうか。それとも、夏休みの旅行計画が中止になったことや、彼に対するハーンの雑な扱いも、すべてセツがからんでいるだけに面白くなかったのだろうか?人格者の西田に限って、それはないとは思うのだけど…。
青山 誠(あおやま・まこと)
作家。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。
