同年7月26日、中学校が夏休みになると、ハーンと西田は出雲大社から近い稲佐の浜へ海水浴にでかけた。海辺の旅館に逗留して数日を過ごし、その後も1カ月ほどかけて山陰各地を2人で旅する計画だった。ホントに仲がいい。

岩の上に立つ鳥居が印象的な「稲佐の浜」
岩の上に立つ鳥居が印象的な「稲佐の浜」

しかし、7月28日には旅の計画が大きく変更されることに…。

ハーンと西田の二人旅。のはずが…

この日、ハーンと西田が海水浴を終えて旅館に戻ってくると、

「アナター!」

2階の客室からセツの声が聞こえてくる。

この前日に「すぐ来てくれ」というハーンからの手紙が届き、急いでやって来たのだった。「アナタ」という呼び方は、堂々と夫婦としてふるまっている。その声を耳にしたハーンもドッキリときめいたと、この話を聞いた息子の一雄が後に証言している。西田もまたその声を聞いているはず。さて、彼はそれについてどう思ったか?

この日の『西田千太郎日記』には、「ヘルン氏ト大社ニ参拝シ、千家氏ニ名刺ヲ残シテ帰ル。千家氏ニ楽山焼ノ徳利及盃各一対贈ル」

と、だけある。

セツを呼び寄せたのはハーンの独断か、西田にも事前の相談はあったのか?そのあたりもまったく謎だ。

日記を見るかぎり、あいかわらずセツのことは無視している。そこから察するに、西田はまだ彼女をただの妾としてしか思っておらず、「妾を呼ぶなんて、約束が違う。親友とふたり、誰に気を使うことのない気楽な旅のはずだったのに」…と、相談もなく面倒臭い女を呼ばれて、煩わしく思っていたのかも。

ハーン一行はこの日、稲佐の浜から出雲大社門前町に宿を移している。海水浴の予定を急遽切りあげて、ここから当初に計画していた旅行スケジュールは大きく変更されてゆく。はたしてハーンの目的は何なのか? 

出雲大社の玄関口となる宇迦橋の大鳥居
出雲大社の玄関口となる宇迦橋の大鳥居

ちなみに、ハーンは以前にも出雲大社を訪れている。これも西田の尽力によるもの。この時、外国人に許された初の昇殿参拝をし、千家宮司にも会ってお互いに好印象を抱いたようだった。

この日、ハーンは大社再訪の感慨に耽りながら参道の玉砂利を踏み締め社務所に名刺を置いて訪問を告げている。

翌7月29日には大社宮司の千家氏に招かれて饗応を受けたのだが…饗応の席で「ヘルン氏ト共ニ千家ニ招カレ、古書画ヲ観、非常ニ鄭重ナル饗応ヲ受ケ、夜半ヲ過ギテ帰ル。ヘルン氏大酔。」(『西田千太郎日記』)と、夜遅くまで盛りあがり、ハーンには珍しくハメをはずして泥酔したようだ。何か嬉しいことがあったのだろうか?