『三津浜』は松山の海の玄関口として栄えた

魚市場に船着き場。『三津浜』は古くから松山の海の玄関口として栄えた。太平洋戦争末期の松山大空襲による戦火を逃れたことで、歴史的な建物や町並みが残り情緒あふれる港町の面影を今に残す。

内木敦也キャスター:
「松山市駅から電車でおよそ15分。今回は松山でも特に古い町並みが残る三津浜で昭和の名残を探します。瀬村さんよろしくお願いします」

案内してくれるのは「三津浜地区まちづくり協議会」の会長を務める瀬村要二郎さん。地元で100年以上続く製材所の四代目だ。

内木敦也キャスター:
「最近の三津浜は?」

瀬村要二郎さん
「一時期、人が減って来たけど、今は少しずつ元気が出てきた」

三津浜には「大人の娯楽施設」があったとか

最初に向かったのは三津駅の北側のエリア。ここには戦前から戦後にかけてにぎわいを呼んだ「大人の娯楽施設」があったそうだ。

内木敦也キャスター:
「住宅街のどまんなか、このエリアには何があった?」

瀬村要二郎さん
「あるレースが行われてました。今ちょうどこのあたりなんですけど」

当時の様子を航空写真で見てみると…陸上のトラックのような長円形のコースが写っている。

内木敦也キャスター:
「サーキットにしては平坦だし…ヒントは?」

瀬村要二郎さん
「パカラッパカラッ」

内木敦也キャスター:
「もしかして競馬ですか?」

瀬村要二郎さん
「そう!競馬場だったんです」

「大人の娯楽施設」があったそうだ
「大人の娯楽施設」があったそうだ
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三津浜競馬場は当時を偲ばせる数少ない名残

三津浜競馬場は1929年に開設。戦時中は軍隊の馬の鍛錬場として使われ、戦後再び復活したが、松山市営競輪場が開設されたあと、1955年に廃止されました。競馬場のコーナーだった一部分が住宅街の道路に姿を変え、当時を偲ばせる数少ない名残となっている。

地元の人:
「馬も歩きよりましたよ。この道歩きよった。馬の顔と私の顔が接近するくらい。馬のほうが優しいくらいでね」

競馬場のコーナーだった一部分が住宅街の道路に姿を変えた
競馬場のコーナーだった一部分が住宅街の道路に姿を変えた

商店街には古くから営業を続ける店も

瀬村さん:
「港から降りた人が駅に行くために通った、メインストリート」

長さ500メートルの通りに30店舗近くが軒を連ねる三津浜商店街。昭和から平成にかけては「三津浜銀天街」と呼ばれたアーケード街で、地元の人や港の利用客でにぎわっている。

昭和40年(1965年)に発行された住宅地図を見てみると、衣料品店や雑貨店にスーパー。商店街にはなんと100店舗以上が並んでいて、中には今も営業を続ける店がある。

楠原金物店・二代目楠原盛秀さん:
「メインは建築用の金物」

こちらの金物店は昭和の時代、一般家庭向けにヤカンや鍋などの生活用品を販売していたが、客足の減少に伴い、20年ほど前からボルトや配管などの建築用品を中心に扱うようになった。

内木アナキャスター:
「昔の商店街は?」

楠原盛秀さん:
「アーケードがある頃は良かった、アーケードがなくなってからは人通りもものすごく少なくなった。ただ今ごろは若い方が色んな所で店を出している」

三津浜では10年ほど前から古民家や空き店舗を活用した飲食店や専門店などが、次々とオープンしている。

楠原金物店では昭和の時代から生活用品を販売していた
楠原金物店では昭和の時代から生活用品を販売していた

米の卸問屋を営んでいた鈴木勢美吉が建てた歴史的建物

旧鈴木邸・岩神麻祐子オーナー:
「とにかくこの建物を残したいっていう気持ちと、建物がすごい素敵だった」

古民家に暮らす岩神麻祐子さん。岩神さんが暮らすこちらの「旧鈴木邸」は、大正時代に米の卸問屋を営んでいた鈴木勢美吉が、店舗兼住宅として建てた歴史的な建物だ。14年ほど前会社員だった岩神さんは、この古民家が取り壊されるという話を知り、思い切って購入を決断。三津浜に移住した。

大正時代の歴史的な建物
大正時代の歴史的な建物

古民家を建築当時の状態に近付くよう改修

岩神麻祐子オーナー:
「こちらの欄間が『三津浜煉瓦』というレンガ工場で焼いた陶器の欄間です。とても珍しいので、文化財登録の時のひとつのチャームポイントに」

古民家のオーナーとなった岩神さんは、市の補助金制度を使い、建物を建築当時の状態に近付くよう改修。4年前に国の登録有形文化財に指定された。

古民家はカフェとして活用していて、「米の卸問屋」だった歴史を生かし、手作りの「おはぎ」を提供している。

岩神麻祐子オーナー:
「(Q.三津浜の魅力は?)
「三津浜に来て色んな人と交流して、街を歩いて、すごい呼吸がしやすい場所。歴史が積み重なった面白さ、教科書で見たストーリーがまだ生々しく残っていて、そこに人が生活している。なんかテーマパークみたいな場所だなって」

「なんかテーマパークみたいな場所だなって」
「なんかテーマパークみたいな場所だなって」

「昭和の三津浜焼き」を再現

そんな「歴史のテーマパーク」、三津浜のソウルフードと言えば、「三津浜焼き」。私たちが知っている「三津浜焼き」はたっぷりのそばに山盛りのキャベツ。天かすや豚肉などをトッピングするお好み焼きの一種ですが、昭和の時代は今とは少し違った作りだったそう。

瀬村さん:
「今でこそ『三津浜焼き』という名前ですけど、もともとは『素焼き』『台付き』という名前」

内木キャスター:
「そもそも名前が違ったんですね。具材も違ってすごくシンプルで意外。」

瀬村さん:
「昭和40年頃だったら私らも小遣い持って来ていた。おやつがわり的なところもありましたね」

というわけで今回、地元の飲食店に協力していただき、「昭和の三津浜焼き」を再現した。

いとさん二代目・元重美登里さん
(Q.生地の上に乗せたのは?)
「削り節」
(Q.ここにキャベツ?)
「キャベツを乗せて」

内木キャスター:
「きょうは美登里さんも当時の記憶を辿りながら作られている?」

元重さん:
「そうですね子供の時ですからね」

具材に火が通ったころあいを見計らって半円型にたたみ、仕上げのソースを塗れば「昭和の三津浜焼き」の完成だ。

これぞ「昭和の三津浜焼き」
これぞ「昭和の三津浜焼き」

あの懐かしの味は再現できたのか

瀬村さんが子供の頃に食べた懐かしの味は再現できたのか?

瀬村さん:
「昔の味ですね。やっぱりシンプルな味になりますよね。肉とか卵とか色んな物が入ってないから。今はどうしても豪華になりますけど」

食べ物が少なかった戦後の貧しい時代。安くておいしい「素焼き」や「台付き」は当時の子供たちの胃袋をしっかりとつかみ、今の「三津浜焼き」に姿を変え、地域の内外で親しまれている。

内木キャスター:
「きょうめぐってみて、さまざまな歴史が積み重ねられて、今と古い町並みが融合した町が三津浜だと思いました」

瀬村さん:
「三津浜は三津浜の良さ、食べ物も人情もあります。ぜひそれを含めて良い町になっていけば」

「ぜひそれを含めて良い町になっていけば」
「ぜひそれを含めて良い町になっていけば」
テレビ愛媛
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