拉致問題に進展が見られない中、横田めぐみさんの母・早紀江さんの心の支えとなっているのが、めぐみさんの同級生の存在だ。それぞれがめぐみさんへの思いを胸に秘めながら、親子の再会を祈っている。
「私の代で突破口を開く」高市首相から早紀江さんへのメッセージ
2025年11月、北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの母・早紀江さん(89)の暮らす川崎市で、めぐみさんの同級生が『励ます会』を開いた。
6回目の開催で、初めて首相から早紀江さんにメッセージが届いた。
《高市首相からのメッセージ(全文)》
11月15日で、横田めぐみさんが拉致されて48年が経ちました。本当に長い時間が経ってしまいました。横田早紀江さんを始めとする御家族の皆様におかれましては、長年にわたって苦しみ、悲しみ、そして、何とか元気なうちに肉親を抱き締めたい、もう一度再会を果たしたい、そんな思いで過ごしてこられたことと思います。
また、遠く離れた地で寒い冬を過ごす横田めぐみさんも、同様のお気持ちと拝察します。
その御心痛に思いを致すと、もう一刻の猶予もないという思いに駆り立てられます。
私は、あらゆる選択肢を排除せず、何としても私の代で突破口を開きたい、その思いでいっぱいです。やれる限りのことをやる決意です。
早紀江さんにおかれては、再会を果たせるその日まで、どうかお身体に気をつけてお過ごしください。寒くなってきましたが、皆様も健康にお気を付けていただき、ご自愛ください。(了)
早紀江さんは首相が日朝首脳会談への意欲を示すことに期待する一方で、弱気な言葉を漏らすこともある。
励ます会の冒頭、早紀江さんは「(めぐみさんが)本当に元気でいるのか時々分からないという思いになって落ち込むこともあるが、絶対にはっきりするまでは必ず元気で忍耐強く頑張っているだろうと思って毎日を過ごしている」と述べた。
拉致から48年…同級生の胸から消えない大きな“つかえ”
早紀江さんを励まそうと、この会に参加した全員に共通するのは、めぐみさんが拉致された1977年11月15日以来、胸の中の大きなつかえが取れずにいるということだ。

同級生の一人、清水雅生さんは拉致翌日に登校したときの光景が忘れられない。
「いつも私がギリギリで教室に駆け込むと、めぐみさんが『セーフ』と言って笑わせていたが、めぐみさんがいなくて…。そのときばかりは大声で『橫田、どうした風邪か?』と…。でも、誰も返事をしなくて、シーンとしたのを覚えている」
親友の真保恵美子さんは、「何よりもあの日一緒に帰っていたら、彼女はあんなことにならなかったのではないか」と、抱き続ける罪悪感に言及した。
真保さんの母・節子さん(93)は、拉致翌日の早紀江さんの様子について「早紀江さんが目を真っ赤に泣きはらしていて、私が『めぐみちゃんは?』と聞いたら、『帰ってこない』と言って泣いていらして、それから2人で泣いてしまって…」と回想した。
想像を絶する長い苦しみの日々は、このとき始まった。
色あせることのないめぐみさんとの思い出
めぐみさんを奪われた悲しみが消えない一方で、その存在は今なお、同級生を明るく照らすマドンナであり続けている。
真保さんとともに3人組として仲良くしていた山田くに恵さんは、めぐみさんと同じく転勤族の父を持ち、「お互い転校することになったら一番先に教え合おう」と約束していた。
その言葉通り「転校するよ」というメッセージをモールス信号にしてめぐみさんに渡したのは拉致の前日。めぐみさんは「図書館で調べて解読する」と笑顔だったという。その会話が最後になった。
山田さんはその後、めぐみさんとの思い出話を笑いを交えて次々と披露した。
人気番組『プロ野球ニュース』のテーマソングに合わせて学校の階段を行進し、大笑いしたこと。めぐみさんの弟のヴァイオリンの発表会でめぐみさんとおしゃべりし、早紀江さんにひどく叱られたこと。
そうした話に耳を傾ける早紀江さんの笑顔は絶えず、娘の存在をより近くに感じているようだった。
「同級生の存在は大きな支え。明るい方が多いのでとてもありがたく、力になっている」
「絶対に会える」その言葉を希望に変える
3時間ほどで励ます会がお開きになっても、同級生は会場前で早紀江さんを囲んだ。

同級生の丸山善昭さんは早紀江さんの背中に手を添えて、「絶対会えるから。マイナスなことは言わないで」と寄り添った。
26年2月に早紀江さんは90歳になる。
首相が拉致問題に意欲的なことは近年なかった明るい兆しだ。しかし、兆しだけでは事態は動かない。
もどかしさを抱えながらも、早紀江さんは同級生の心からの励ましを希望に変えている。
