刑務所の受刑者に対しては、更生のため-。拘置所の死刑囚に対しては、心の支えとなるため-。宗教を通じて「教え、諭す」存在の教誨師。罪を犯した人に宗教を通じて寄り添い、時には、死刑執行にも立ち会う。福岡で長年、活動を続ける教誨師が取材に応じた。
40年以上 教誨師として活動
現在、全国には、仏教系やキリスト系など約1800人の教誨師がいる。教誨師の歴史は古く、国内では明治5年には、監獄での教誨が許可されていたという。

明治時代の法律では、受刑者が教誨を受けることが義務付けられていて、実は教誨師は公務員と定められていた。しかし戦後の政教分離の観点から、現在ではボランティアのかたちに落ち着いたという。

福岡・糸島市で500年以上の歴史を持つ長楽寺。住職の川﨑文丸さん(67)は、先輩僧侶の誘いをきっかけに40年以上、教誨師として活動してきた。福岡県内で教誨師になる割合は、全宗派で1000人のうちの50人ぐらいだといわれている。

この日、川﨑さんが訪れたのは、宇美町の福岡刑務所。釈放を翌日に控えた受刑者3人に、講話を行った。
覚醒剤を繰り返し6度目の入所
「貪りの貪欲、怒り、愚痴、これはよそから引っ付くものじゃない。皆さん方の心の中そのものがこれで満たされている。大きい山は塵。もう目に見えないような小さい塵から始まったんだよ。また千里、いわゆる4000キロという、とてつもない距離。それは一歩から始まる」と白板を前に語る川崎さん。3人の受刑者も神妙な面持ちだ。

3人のうちの1人、60代の受刑者は、傷害と器物損壊の罪で、10カ月服役した。過去には、覚醒剤を繰り返し、刑務所に入ったのは、今回で6度目だ。

「大山微塵、千里一歩」という言葉が心に残ったと話す受刑者だが「なかなか、出たら、もう、すぐ忘れてですね。その一歩が斜めを向いて行ってしまうんですよ」と自嘲する。服役中は、宗派ごとの教誨も複数回、受けたという。

「私は、神さまも仏さまも信じられるので、誰も見ていなくても、見られているということですね。不安だらけなんですけど…。真っすぐ前に歩いていかないかんなってことを改めて、きょう思いました」(60代受刑者)
その言葉に対して川﨑さんは「我々もみんな同じ状態なんだって。縁次第でそうなって、きっかけ次第でそうなっていくぞって」と話す。
死刑囚への教誨は月に1度1時間ほど
現在、国内の拘置所にいる死刑囚の数は105人。教誨師は、死刑囚の精神的支えとなり、求められれば、刑の執行にも立ち会う。川﨑さんは、3年前から1人の確定死刑囚を担当している。
「40年以上,教誨師をやっといて、(死刑囚と向き合うのは)初めてっちゅうかね。いや、身構えることはないけどね。もうその時は、相当な年やったし…。そんな犯罪者として会うっていう…、『こげんか悪いことしたろうが』っていうようなものはもうないね」と川崎さんは話す。

2025年11月13日、福岡拘置所。死刑囚への教誨は、月に1度、1時間ほど行われる。 教誨師の中でも死刑囚を担当するのは限られた人数だ。

赤い扉の向こうにある教誨室。6畳ほどの部屋に仏壇とローテーブルが置かれ、教誨師と死刑囚の間には、遮る物が何もない。
看守長の伊東隆広さんは「我々、職員には言えないような悩みとか思い、これを教誨師の方に聞いて頂いて、心が休まっているんだと思います。教誨を通して、人の命の尊さ、これをしっかり理解して頂きたい」と話す。

川﨑さんにこの日の内容を尋ねた。「何か、尋ねたいことやらあるね?」と川崎さんが訪ねたが、死刑囚からの返答は「ああもう『別にないです』」という言葉だったという。

必要以上のことは語らないという川﨑さんが担当する死刑囚。しかし、出会って3年となるこの秋、印象的な出来事があったと川崎さんは記録書を捲った。
「やっちゃいけない事件を犯した」
「甥っ子さんたちのね、誕生日ですって話からね。それがもう嬉しかったっちゃろうね。どんどん話してきてね」

「その時にパッとね『自分はやっちゃいけない事件を犯しました』って自分から言ってね。『仏様の教えを聞く、ご縁に出会うことができました』と自分から言い出した」

「人間の世界の厳しい、世界の現実っていうかさ。一気に彼は、舐めたのかな」。
川﨑さんは、刑の執行にも立ち会う覚悟だ。
「人間はね、もうそれこそきっかけ次第でね、縁に触れれば、何するか分からない。いろんな縁がね、重なってこういう結果が出てきているんやから。しっかりそれを見てほしいし受け止めてほしい」

塀の中で教え、諭し、心を支える教誨師。きょうも人知れず、罪を犯した人たちと向き合っている。
(テレビ西日本)
