「10.19」現役最後の打席で野球人生を賭けたタイムリー伝説

徳光:
1987年ですかね。仰木(彬)監督。仰木さんが監督になられる時に、一度梨田さん、引退もお考えになったと。

梨田:
僕「辞める」って言ってたんです。仰木さんが「お前辞めんのか」って言うから、「はい。もう今年でやめます」って。「何でや」って言うから、「いや何でやって、肩も手術したりアキレスけんも悪かったですし。「実は来年から俺が監督をやるんだ」と。「だから、おまえやってくれよ」って言うから、「何もできないですよ、選手としたら」って言ったら、「選手とコーチのパイプ役でいいから、それでいいからやってくれ」って、ということでやったんですけど。

徳光:
パイプ役としてね。その翌年が「10.19」になるわけでしょ。

梨田:
そうなんです。

徳光:
プロ野球史に残るダブルヘッダーということになるわけでありますけど、いつもは本当に閑古鳥の川崎球場が、突然都鳥がみんな集まったみたいな感じで。

梨田:
びっくりしました。初めての光景ですから。

徳光:
ですよね。確かね。
引退する気持ちはもう固まってたんですか?

梨田:
その年(1998年)は間違いなく辞めるはずだったんです。それはもう仰木さんも、それはいいと。

徳光:
第1試合はルール上、延長はないってことだったんですよね。

梨田:
あの時の決まりは第1試合は9回打ち切りと。時間関係なく9回で打ち切り。

徳光:
3 - 3で同点で、あそこでもしかしたら引き分けだったら、もう優勝はその時点で近鉄になかった。

梨田:
そうです。

徳光:
そこの場面で、9回の2アウトで代打ってお出になると。
このあたりのお話、ちょっとつぶさに伺いたいですね。

梨田:
この時はね、たぶんね、もう残ってる選手は僕しかいないと思ってたんですけどね。それをね、仰木さんなかなか(代打を)言わないんですよ。代打告げないんですよ。なんかイライラしてたんですけど、「これはひょっとしたら最後の打席になるかもわからんかな」と思いながら、小さいころから野球始めたころのことをずっと走馬灯のように頭の中でいろいろ考えてたんです。最後の結論が、「ストライク来たら振らないと」、「振らないと当たらないから(ストライクが来たら)手を出そう」と。「ファーストストライク振ろう」っていうのだけ考えて打席に立ったんですね。ピッチャーが牛島(和彦)君に代わったんで。

徳光:
あの時、1塁空いてましたよね。

梨田:
空いてました。あのケースで歩かすってことはまずないと思うんですよ。

徳光:
この間、牛島さんもゲストで来ていただいたんですよ。

牛島和彦(2025年5月13日放送):
1塁空いてたんですよ。梨田さんその年で引退ですよ。

徳光:
そうですか。

牛島:
ラストの打席かもしれない、梨田さん。俺はここで梨田さんを敬遠して、次のバッター抑えても何の意味があんのやろうと思いながら。

徳光:
高校時代の牛島さんですね、本当に。

牛島:
外見せといて、バッとインサイドにツーシーム投げて、ガシャって詰まって、「よし」と思ったら…。

梨田:
打ったらどん詰まりで、ショートとセカンドとセンターの間、ちょうど三角形の真ん中に落ちたみたいなね。

徳光:
そのヒットになったゆえに、マスクをかぶらざるを得なくなった。9回裏。

梨田:
9回裏ね。あれもピンチの連続でね。一番吉井(理人)がカッカしてたかな。今のロッテの監督の。

徳光:
くしくも今ロッテの監督ですね。

梨田:
今はね、温厚そうにしてますけどね。

徳光:
阿波野(秀幸)へ交代するわけでしょ。

梨田:
阿波野もヘロヘロと言いますか、疲れ切っててね。ちょっとかわいそうだったんですよね。
それで1試合目でなんとか勝って、(第2試合までの)休憩時間が20分しかないんですよね。

徳光:
そうか。ダブルヘッダーの。
第2試合で、4 - 3でリードして、それで高沢(秀昭)でしたかね。ホームランでしたかね。同点ホームラン打たれまして。

梨田:
そうです。3ボール2ストライクからね、フェンスギリギリで入りましたね。

徳光:
そういう思い出の試合というのが経験されていらっしゃるわけでありますけども。
近鉄が89年に再び西武との熾烈(しれつ)な優勝争いを制しまして、劇的な優勝を遂げるわけでありますけども。

梨田:
ちょうど僕が引退した年かな。でも普通は、その前の年にああいう負け方したら、次の年に絶対優勝できないんですよ。

徳光:
普通はね。

梨田:
要するにみんな、金属疲労で精神的にもダメでね。

徳光:
おそらくそうでしょうね。

梨田:
それが優勝できたっていうのは、やっぱり仰木さんの執念というか、すごいものがありますね。
それはちょっと感じましたね。