伝説の「江夏の21球」秘話 ノーアウト満塁で西本監督が
徳光:
1979年には打率が2割7分2厘で、ホームランが19本。結果を残しまして、あれですね。これはもう、本当にゴールデングラブ賞も取ったし、ベストナインにも選べたわけでありますけど。
なんと言いましても79年と言いますと、近鉄の初優勝ということになるわけですよね。

徳光:
この原動力になられたわけでありますけども。日本シリーズであの「江夏の21球」っていう。これは惜しくも日本一を逃したわけでございますけど、あの時は実際、ベンチでご覧になってたわけですかね。
「江夏の21球」:
1979年広島対近鉄の日本シリーズ第7戦9回裏に江夏豊が無死満塁のピンチをしのいだプロ野球史に残る名場面。
梨田:
そうなんです。僕はね、たぶん7回ぐらいに代打でライトフライを打ってると思うんですよ。ですからもう最後はもう応援するだけだったんですけどね。あの時は江夏さんがあまり状態が良くなくてね。ブルペンで2人ピッチングをやりだしたんですね。古葉監督がたぶん指令を出して、「すぐ用意せぇ」と。江夏さんがもうめちゃくちゃ見てにらんでね。怒られてたんですよ、「何やんねん」みたいなので。
徳光:
衣笠(祥雄)さんがちょっと声かけに行くでしょ。あれ絶妙なタイミングだったんじゃないですか。
梨田:
と思います。
徳光:
もうツーカーの仲ですから、2人は。
梨田:
ですから、たぶんあの時にカッカしてるのはわかってて、「ちょっと落ち着け」というようなことを、なんかいいタイミングで行かれたと思います。

徳光:
ですよね。無死満塁になったという瞬間はどうだったんですか。
梨田:
あの時ね、僕はベンチの前列よりもちょっと後ろだったんですけどね。なんか西本幸雄さんの顔がちょっと緩んだようなところはチラッと見えたんですね。
徳光:
それはどういうこと?「よしっ」ていうことですか?
梨田:
よしっていう感じだったんじゃないですかね。「よし行けるぞ」みたいな。
徳光:
いつも難しそうな顔してる西本さんが。

梨田:
ちょっとあの時、少し顔が緩んだっていうのは僕は少し感じましたけどね。
ですから(1アウト満塁からの)スクイズの時もね、僕はよく分からないんですけど、カーブのサインで外したとかっていうような話も聞くんですけども。
勝者は何を言ってもいいんですけどね、負けたチームは何にも語れないっていう。
徳光:
「スタートが良すぎて(キャッチャーに)察知された」っていう話も出てましたよね。

梨田:
サードランナーは藤瀬史朗って、同い年なんですけどね。左ピッチャーの時って、そんなにいいスタート切らなくていいんですけども。あのまホームスチールでもしてもいいぐらいのスタートを切ったのは間違いないんですね。相手も警戒はしてますからね。あれだけいいスタートを切れば、そういうふうに察知されるっていうのはあるんですけどもね。
その時(の打者が)、石渡(茂)さん。最後巨人に行かれましたね。石渡さんって、あまり言うとあれですけど、スクイズとかバントあまりうまくない。
徳光:
得意じゃないんですか。
梨田:
だから巡り合わせが悪いというか、そういう人のところへ回ってきたという感じはありましたけどね。
徳光:
でも江夏のすごさはお感じになりました。
梨田:
いやもうすごいです。本当に江夏さんは。もう術、投球術というのと、コントロールがもう抜群です。
【後編に続く】
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年8月26日放送より)
「プロ野球レジェン堂」
BSフジ 毎週火曜日午後10時から放送
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