新渡戸稲造について生前の映像が存在することが、2025年に入り新渡戸の研究者によって相次いで確認されました。
発見された動く映像からは新渡戸の紳士的な人柄がうかがえます。
岩手県奥州市の後藤新平記念館に、生前の新渡戸の映像の一つが所蔵されていました。
後藤新平記念館 学芸調査員 中村淑子さん
「こちらがフィルムの原板です」
所蔵されていたのは「後藤伯の霊棺帰還」という映像で、1929年に東京都で撮影されたものです。(提供:後藤新平記念館)
中村さんは「後藤新平が昭和4年4月に亡くなって、ひつぎが後藤邸に戻ってきた時の映像」と説明します。
映像に写る車から降りて歩く男性が、後藤の友人だった新渡戸稲造です。わずか数秒ですが姿が捉えられています。
新渡戸は1901年、台湾で民生局長という役職についていた後藤新平から現地に呼びよせられ、サトウキビの栽培の振興に尽力し、台湾の産業発展の礎を築いたとされています。
同じ岩手県出身の2人は、日本に戻ってからも家族ぐるみの親交を続けていました。
盛岡市で新渡戸の研究を40年以上続けてきた人がいます。新渡戸基金の理事長・藤井茂さんです。
2025年3月、後藤新平記念館の中村さんから映像を見せられ、それが間違いなく新渡戸であることを確認しました。
新渡戸基金 理事長 藤井茂さん
「(写真で)200枚~300枚くらい新渡戸の顔を見ている。普段見ている新渡戸と、まず変わらない。(映像は)本当に短いけれども、確実に新渡戸」
実は藤井さんは、後藤新平の葬儀の映像が残っていれば新渡戸の姿が写っているはずと考えていたと言います。
新渡戸基金 理事長 藤井茂さん
「(後藤新平と)親友であれば葬儀に行く。だから葬儀(の映像)に写っているのではと予想していた。予想通りだったが見つかるとびっくりした。やっぱり見つかるかってね」
同じタイミングで、藤井さんはもう一点映像を確認しました。
東京都の国立映画アーカイブが、2024年3月にインターネットに公開した「後藤伯爵葬儀」という映像です。
後藤新平記念館の映像と同じ日に東京駅のホームで撮影されたもので、後藤の棺を迎える人の中に、緊張した表情を浮かべる新渡戸が写っています。
この映像の存在を認識していた後藤新平記念館の中村さんが、藤井さんに確認してもらおうと見せたのだと言います。
新渡戸基金 理事長 藤井茂さん
「東京駅でハンカチをこうしながら待っているんですね、今か今かと。文字と写真ばかりで我々評価してきたが、人間・新渡戸稲造がここに出ているなと」
藤井さんは、今後もこうした新たな資料の発掘を期待したいと語ります。
新渡戸基金 理事長 藤井茂さん
「声が分かるとその人の全体像がもう一つ深みが出る。(音声が)残っていれば良いなと。可能性はいつも探っている」
郷土の偉人2人の没後90年以上経った2025年、新渡戸の映像が確認されたことに後藤新平記念館の中村さんも、特別な思いを抱いています。
中村さんは「後藤の葬儀の時に、何台ものカメラが入ってその場を残そうとしていたことに驚いた。(改めて)広く後藤新平・新渡戸稲造の姿が注目を受けたことは、とてもうれしい」と話していました。
(岩手めんこいテレビ)