9月12日で3万。
なんの数字かわかりますか?
実は12日、鹿児島県を中心に発行している南日本新聞が通算3万号の節目を迎えたんです。
期間にして80年余り。
南日本新聞の歩みを振り返ります。
南日本新聞の前身となる鹿児島新聞は1882年2月に創刊しました。
その後、1県に1紙という国の方針を受けて、鹿児島朝日新聞と合併し、1942年2月11日に鹿児島日報として再スタートを切ります。
それから4年がたった戦後の1946年2月11日、現在の南日本新聞に改題しました。
そして12日。
鹿児島日報として発行した1942年2月から数えて3万号の節目を迎えました。
12日の朝刊ではこれを記念した特集紙面が組まれ、当時の鹿児島日報1号の1面記事、そして現代語訳された記事の内容が掲載されています。
紙面は戦争に関する内容がほとんどで、戦時中の世の中が色濃く反映されています。
南日本新聞社・平川順一朗編集局長
「戦争というものに新聞が果たしてきた役割を改めて反省も込めて感じることができた。平和の大切さも感じながら特集の紙面を作った」
前身となる鹿児島新聞時代には1914年の桜島の大正大噴火をー
南日本新聞としては1953年の奄美の日本復帰。
そして1972年の太陽国体など、長い歴史の中で、様々な鹿児島のニュースを伝えてきた南日本新聞。
1日の発行部数は最大で42万部を数え、広く県民に親しまれてきました。
南日本新聞社・平川順一朗編集局長
「ずっと続けられたのは県民・読者からの信頼があったから。紙で読者の元に新聞を届けることは可能な限り続けたい。鹿児島のことは南日本新聞を読めば一番分かるという媒体でありたい」