山川ガラスを一代で築いた山川國義さん(86)の船は、ステンドグラスが輝いていた。「父が好きだったものに囲まれて送りたい」と、娘たちが手作りした。
厳しくも自然を愛した父の人柄
「とにかく厳しい、怖い。私のイメージはそんな感じかな。一応長女だったので、一番やっぱり厳しかったと思う」と語るのは、書道家として活躍する長女の美也さん。

厳しさの中にも、父・國義さんの人間味あふれるエピソードを懐かしそうに振り返る。

山川國義さん(86)は山川ガラスを一代で築き、4人の娘を育てた。自分が若い頃、いかに男前だったかを自慢するのが常だったという。

「俳優学校に通っていたり映画のエキストラに出たりとか、どれだけ自分が男前だったか自慢はよくしてました」と娘は笑う。実際、家族が見せてくれた若かりし頃の白黒写真からは、確かに整った風貌の男性の姿が見て取れる。

孫たちの印象は「酒飲み」だとか。
國義さんは、ガラス職人としての顔の他に、自然を愛する一面も持ち合わせていた。

「庭いじりとか自然が好きで、虫とか鯉とかカエルとかスズメとか、とにかく可愛がってたんですよ」と美也さん。庭には色鮮やかな水生植物が植えられた池があり、國義さんが生前大切にしていた空間だった。
父が好きだったものを全部詰め込んだ船
山川家では、國義さんの精霊流しに向けて家族総出で船を制作した。船には國義さんが好きだったものを全部詰め込んだ。

庭にいた虫や鯉、カエル、スズメなどを可愛がっていたので、オブジェをみんなで手作りした。

特に、山川ガラスを営んでいた國義さんの仕事への敬意を表し、「欄干(らんかん)の部分をステンドグラスにしよう」と家族で考案。國義さんの職人技術を偲ぶ手作りのステンドグラスが、精霊船に美しく組み込まれた。

みよしや帆は、書道家として活躍する長女の美也さんが書いた。

「帆の裏側に、エジソンの言葉を書きました」と美也さん。これは國義さんが生前好んでいた言葉だという。細部にまで家族の思いが詰まっている。
「目立ちたがりやだったので、ちょっと賑やかに派手な感じで、孫や娘たちのいろんな思いを込めて送り出したいな」と美也さんは語る。
「長崎らしい」手作りの精霊船
精霊流し本番を迎えた。

國義さんの船は、随所に家族の手作りが散りばめられていた。

ステンドグラスは特にきらめいていた。

「父が愛した長崎から極楽へ行ってもらえるように、みんな思いを込めて作った船で見送りたいと思います」と、家族は笑顔で船を曳いていた。
コンビニカラーの精霊船
船の台座は「緑・白・青」の三本線。

街中でよく見かけるコンビニエンスストアのイメージカラーがあしらわれている。

長崎県内外でコンビニを一代で13店舗経営した立石久男(75)さんの船だ。ファミリーマートを経営していたので、ファミリーマートのブランドカラーを前面に出した精霊船が作られた。

船の周りには店舗の写真をぐるりと並べ、みよしと呼ばれる船の先端部分も緑色で作られた。

優しく、頑固で、お酒が好きだった久男さん。体調崩して好きなお酒もセーブしながら飲んでいたが、亡くなる直前に長男の太さんと一緒にお酒を飲みに行き、お店の今後のことなどを語り合ったそうだ。

「優しく、立派だった父と最後に一緒に飲めたのはすごくよかった。」と父との思い出を振り返る長男の太さん。「送るときは派手にしてくれ」と言われたそうで、大勢の家族や社員で賑やかに見送った。
(テレビ長崎)