戦後80年、戦争の記憶は岐阜県の小さな村でも語り継がれています。戦場で命を落とすまでの10日間の思いを記した若者の日記には、家族やふるさとへの思い、そして、戦場で人を殺めることへの心の葛藤が綴られていました。

■『村と戦争』語り継がれる“言葉の遺産”

岐阜県東白川村は、お茶と林業で知られる人口およそ2000人の静かな山里です。

2025年6月22日、朗読グループ「夢風船」が主催し、朗読会「戦後80年~せんそうとへいわ~」が開かれました。

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東白川村からも多くの若者が戦地に赴き、尊い命が失われました。村の平和祈念館には、明治10年の西南戦争から太平洋戦争までの戦没者200人以上の遺影が飾られています。

その中には、中国大陸で戦死した今井龍一さん(享年22歳)の遺影と、日記もあります。

1937年(昭和12年)に始まった日中戦争で、龍一さんは熾烈を極める上海上陸作戦に送られました。日記には、戦場での最期の10日間が記されています。

<今井龍一さんの日記>
「お母さん、お母さん…」「人間はなぜ戦争をするのか」

龍一さんは過酷な戦場で、家族や故郷への思いを綴っていました。

■『生きた言葉』を次の世代に さらに未来へ

村役場で働く大西和輝さん(36)は2025年、初めて語り手を務めます。龍一さんの日記を読み、「思いを伝えたい」と参加を決めました。

大西和輝さん:
家族と過ごす日々の日常をすごく大事にされている方で、その方が「戦争で人を殺してしまっている」と日記に書かれているというので、皆さんに伝えられるような読み手になれたらいいなと思って。

朗読会を主催する「夢風船」の古田真由美代表:
村には平和祈念館があるんですけれども、なかなか来場される方が少ない。今回は、若い人たちに参加してもらいたいというのがありました。

大西さんは、仲間と2カ月前から練習を続けてきました。

大西和輝さん:
僕が読むところは、最期の死ぬ直前の1日とか2日前のお話で、大きい声で悲しさを伝えないといけない、語るのが難しいなと思いました。

朗読会当日、会場にはおよそ300人が集まりました。

語り手の福田康弘さん:
村はもう、秋らしくなっているだろうな。ああ、遠いふるさとよ。ああ、懐かしい日本の人々よ。

語り手の若井純さん:
ああ、俺は幾人の彼らを殺したことか。10人…いや15人、ともあれ俺は生まれて初めて人の命を、自己の力で消滅させたのだ。

大西さんも龍一さんの思いを伝えたいと、言葉を紡ぎます。

大西和輝さん:
お母さん、お母さん。お母さんのおとなしい息子だった僕は今、人を殺し火を放つ、恐ろしい戦線の兵士となって暮らしています。僕はお母さんに会うことができるかしら。お母さん、お母さん…。

会場に集まった小学生や中学生も、一つ一つの言葉に耳を傾けました。

男子中学生:
今では想像もつかないような悲惨さが、心から伝わってきました。

女子中学生:
私は少しでも戦争について考えて、自分ができることを探していきたいです。

大西和輝さん:
緊張はしたんですけど、龍一さんを想像して、龍一さんがどういう気持ちだったのかを少しでも皆さんに伝えられたかなと思っています。またやってみたいなと思っています。

戦後80年、山里の小さな村から平和を願い続けます。

(東海テレビ)

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