プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績、伝説を德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!
最速154km/hの速球で打者と真っ向勝負し、中日ドラゴンズのエースとして122の勝ち星を積み重ねた小松辰雄氏。最多勝2回、最優秀防御率1回、沢村賞1回。スピードガンが導入されたプロ野球界で、その速球が記録する数字でもファンを魅了した“スピードガンの申し子”に徳光和夫が切り込んだ。
【前編からの続き】
「俺が権藤だ!知ってるか」「知りません」
徳光:
どんなに球が速い小松さんでも、プロに入ったときは、プロのレベルの高さに驚きましたかね。
小松:
夏の大会が終わってから、ほとんど練習してなかったんですよ。自主トレで2日間くらい名古屋に来たかな。
徳光:
高校3年の夏が終わったら全くボールも握らずに…。
小松:
ほとんど練習してない。たまにグラウンドに行って後輩と一緒にやったりはしてましたけど、ほとんど投げてないわけなんです。
徳光:
それでプロのキャンプに入ったんですね。

小松:
最初のピッチングコーチが稲尾(和久)さんと権藤(博)さんなんですよ。
徳光:
それはすごいですね。

小松:
これは自慢なんですよね。一軍が稲尾さんで二軍が権藤さんなんです。
キャッチボールをしてたら、稲尾さんが来て、「おい、小松、今日ピッチングするか」って言われたんです。「やります」って言ってブルペンを見たんですよ。先輩が投げてたんですけど、「これは勝ったな」と思いましたね。「スピードだけなら勝てる」と思ったんですよ。
徳光:
なるほど。

小松:
休み肩ですからガンガン投げましたね。それをみんな「やっぱ速いな」って感じで見に来るんです。それで有頂天になって100球くらい投げたんです。そしたら次の日に肩が上がらないんですよ。いきなり肩を壊しちゃった(笑)。
徳光:
稲尾さんは優しそうなお顔ですけれども、権藤さんの第一印象はどうでしたか。

小松:
権藤さんは最初会ったときに「俺が権藤だ。お前、俺を知っとるか」って聞かれて、もちろん知ってたんですけど、あんまり偉そうに言うもんですから「知りません!」って言っちゃった(笑)。
徳光:
そしたら権藤さんは…。
小松:
「おお、そうか」っていう感じでしたよ。
いつもバッグを持ってて、帳面とストップウォッチがある。「今日は50メートル50本」とか「今日は30本」とか言ってタイムを計るんですよ。
徳光:
長距離じゃなくて短距離なんですね。
小松:
短距離を走らせるんです。
1年目はずっとファームで投げてて3勝くらいしかできなかったんです。でも、1軍の試合があと6試合くらいになったときに「東京へ行け、神宮行け」と権藤さんが言ったんです。「肩が痛いんです」って言っても「いいから行け」。登録ですよ。次の年のために経験しとくってことなんですよね。それで神宮球場、超満員ですよ。ヤクルトの初優勝が決まるゲームだったんです。
徳光:
あの松岡(弘)さんが投げて…。
小松:
そう、松岡さんが完封したゲームですね。あれが初登板なんですよ。
徳光:
へぇ。

小松:
「7回と8回投げろ」と。
先頭バッターが杉浦(享)さんで三振を取りました。2イニングでノーヒットで三振3つかな。それがデビュー戦でしたね。その後、ヤクルトの胴上げですから。
徳光:
強烈なデビューですね。
小松:
そうなんですよ。
憧れの「世界の王」が流し打ち
小松氏は2年目は開幕から一軍入りし、4月11日のヤクルト戦で初勝利をあげた。3番手でリリーフ登板し1回3分の2を投げて被安打0、奪三振2の好投だった。
徳光:
初勝利した試合のゲーム内容を覚えてますか。

小松:
同点で出て行って、それで高木守道さんが8回裏かな。勝ち越しホームランを打ってくれたんですよ。それでそのまま抑えて初勝利だったんです。
徳光:
お立ち台にも立ったとか。
小松:
ええ。守道さんと一緒に撮った写真が実家に飾ってあります。
徳光:
そうですか。守道さんはもうベテランでしたかね。
小松:
守道さんとは3年しか一緒にやっていない。だから辞める前の年ですね。
徳光:
そうですか。
そうすると、この頃に王さんとの対戦もしてますかね。
小松:
もちろんしてます。王さんに投げられるだけで、もう大感激でしたよ。
後楽園で初めて投げた日のことを覚えてるんですけど、子供のときから憧れてた人が目の前で、一本足で立っているわけですよ。もう感激でしたね。
小松氏は王氏との対戦で印象に残っている打席があるという。プロ2年目の5月31日の後楽園球場での試合だ。1対1の同点で迎えた8回裏に登板し2アウト二塁で王氏を打席に迎えた。
小松:
私は5月に16試合くらい投げてずっと無失点。30イニングくらい無失点だったんですよね。それで王さんは30打席くらいノーヒットだったんですよ。
このとき、中日守備陣は“王シフト”を敷いたという。
徳光:
全員が右へ寄ってたんですね。
小松:
そしたら長嶋さんが王さんに「流せ」のサインを出したらしいんですよ。それでレフトにチョーンと流してツーベースだったんです。勝ち越し点。私は30イニングぶりくらいで点を奪われて負けたんですよ。後から聞いたら、その晩ムチャクチャ荒れたらしいですね。
徳光:
王さんが。

小松:
「小松に悪いことをした。引っ張ってやれんかった」って言ってたってことを、後から聞きましたね。
徳光:
それは王さんの野球の美学、野球の哲学ですよね。引っ張るっていうね。やむを得ないことかもしれないけど、それを若い小松投手に対してできなかった。
小松:
それを、だいぶ経ってから聞いたんですよね。
徳光:
そういうのって嬉しいでしょう。
小松:
やっぱり嬉しいですよね。
最速154km/hの衝撃“スピードガンの申し子”

小松氏はプロ入団2年目の1979年、54試合に登板して6勝9敗16セーブ、防御率2.69の成績を残した。先発はなく、すべてリリーフ登板だった。
徳光:
高卒2年目としては上々の記録だと思うんですが。
小松:
あのときはスピードガンができて話題になったときですからね。
徳光:
そうか、スピードガンが出たんだ。

テレビ中継でスピードガンによって球速が表示されるようになったのは1979年、ナゴヤ球場では1980年に電光掲示板で表示されるようになった。
小松:
ナゴヤ球場は左中間の上にできましたね。横浜スタジアムも出ました。2つの球場で出ましたね。
徳光:
ご自身はやっぱりスピードガンに対する意識はおありになったんですか。

小松:
やっぱり意識しますよね。投げた瞬間にこういう感じで(振り返って)見てましたからね。
徳光:
それで「150」という数字が出たときは。
小松:
「出たか」って感じで。やっぱり「150」が出たら球場もワーッてなりますからね。
徳光:
ご自身では最速でどのくらい出たと思いますか。
小松:
最速で154km/hだったんです。横浜スタジアムです。名古屋のガンはあんまりスピードが出なかったんですよ。150km/hくらいです。152km/hくらいが最高じゃなかったかな。
徳光:
今は科学で体を作るじゃないですか。可動域やら何やら調べて、よりスピードが出るようになってますけど、当時は全く野人のごとく投げてたわけですからね。
小松:
体を鍛えるっていっても科学的なことはやらなかったしね。ダンベルを持ち上げるくらいです。トレーニングも何もなくて、もともと田舎の海山を走り回ってただけですからね。あとは腹筋とか背筋とか。私は背筋が強かったです。300kgあったんですよ。
徳光:
えーっ、それはすごいですね。

小松:
ぐるっと回って背筋力計の針が振り切れましたからね。
徳光:
小松さんの何がすごいって、長く投げても球威が落ちないことですよね。

小松:
今、当時の映像を見ると1回から9回までずっと150km/h出てるんですよね。
徳光:
速いと言われた江川(卓)さんでも、140km/h台でしたからね。
小松:
でも、バッターボックスに立ってて一番びっくりしたボールは江川さんのボールですね。ボールが大きく見えるんですよ。浮き上がって来ますからね。ウワッて思っちゃいましたね。だから江川さんと投げ合ったときはほとんど負けてるんですよ。最後にだけ勝ったのは覚えているんですけどね。江川さんの球は142~143km/hでも浮き上がってくるから、「これは打てんな」ってなったんです。
徳光:
それは初速と終速がほとんど一緒、あるいは終速のほうが出ているんじゃないかっていうくらいの球だったってことですかね。
小松:
そうそう、伸びてくる。
小松氏は江川氏と先発で8度投げ合い、勝敗は1勝5敗だった。
祈りが通じた!?「宇野ヘディング事件」
1981年8月26日の巨人対中日戦はプロ野球ファンの記憶に残る一戦となっている。中日先発の星野仙一氏は6回まで巨人打線を2安打無得点に抑える好投。中日が2対0とリードして迎えた7回裏2アウト二塁の場面で、巨人の山本功児氏がポップフライを打ち上げる。ショートの宇野勝氏が捕球体勢に入り、チェンジを確信した星野氏はベンチに向かって歩き始める。しかし、宇野氏がボールを頭に当てる痛恨のエラーで、二塁ランナーがホームに生還。星野氏はグラブを地面に叩きつけて怒りをあらわにした。プロ野球ファンの間で「宇野ヘディング事件」と呼ばれる“珍プレー”だ。

小松:
当時、ジャイアンツが前の年からずっと完封されてなかったんですよ。それであるとき、星野さんが来て、「あれを止めるのは俺かお前か平松(政次)しかおらん」って言ったわけです。
徳光:
大洋(現・DeNA)の平松さんの名前も出たんだ。
小松:
それで「10万円な」っていうわけですよ。
徳光:
その記録を止めた人が。
小松:
そんなこと、平松さんには言ってないですよ。2人の間で「10万円だ」ってね。「じゃあ、いいですよ」って言ってて、それであの試合になるんですよ。
徳光:
なるほど。

小松:
後楽園で2対0で勝ってたんですよね。「ああ、やられたな、10万円取られたな」と思ってたんです。そしたら、7回ツーアウト、ランナーセカンドでバッターの山本功児さんがショートフライを打ったんです。あの日は結構、風が強かったんで、「風強いし、宇野さん、やってくんねえかな」と思ったら(笑)、あの“世紀のプレー”が出ましてね。
徳光:
なるほど(笑)、一応思ったんですか。
小松:
一応思いましたよ。バッターランナーの山本功児さんがホームまで来て、ホームでアウトになるんですけど、その後ろで星野さんがグラブを叩きつけてた。
あの日は風が強かったんですね。
徳光:
そうですか。小松さんが念じたからかもしれないなとは思いますけど、そういうことにしておきましょう。
小松:
それで、私が9月にナゴヤ球場で止めたんです。巨人を完封したんですよ。それがプロ初完封なんです。
徳光:
へぇ、そうですか。
小松:
私はそれまで完封したことがなかったのに、星野さんが言ってきたわけですよ。俺が取ってやろうという気があったんじゃないですかね。
徳光:
星野さんは、その10万円をどうしたんですか。
小松:
完封した次の日、「おめでとう」って持ってきてくれましたよ。

この小松氏のプロ初完封は1981年9月21日のナゴヤ球場での試合だった。巨人打線を4安打に抑える好投で中日が4対0で勝利。巨人の連続試合得点は174でストップした。
【後編に続く】
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 25/5/27より)
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