6月3日、雲仙普賢岳の大火砕流から34年となった。犠牲者に手を合わせる人たちの中にフランスからの参加者がいた。彼らは大火砕流惨事で犠牲になった火山学者・クラフト夫妻を追悼した。

火山学者・クラフト夫妻を追悼

3日に島原で手を合わせたのはアンドレ・ドゥメゾンさん(74)とジュリアン・デュモンさん(39)だ。

アンドレ・ドゥメゾンさんはクラフト夫妻の元助手だった
アンドレ・ドゥメゾンさんはクラフト夫妻の元助手だった
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アンドレ・ドゥメゾンさんは、大火砕流で犠牲となった世界的な火山学者・クラフト夫妻の元助手だ。19年間、夫妻と世界中の火山を回った。

3日、夫妻の終焉の地である島原市の北上木場で黙とうを捧げた。

当時、報道関係者は「定点」で普賢岳を撮影していた(1991年5月30日)
当時、報道関係者は「定点」で普賢岳を撮影していた(1991年5月30日)

34年前、新聞やテレビの関係者は雲仙・普賢岳を正面に望む一帯を「定点」と呼び、連日カメラを構えた。

モーリス・クラフトさん
モーリス・クラフトさん

クラフト夫妻は火山への防災意識を高める映像を作るため、1991年5月末から島原に入った。FNNの取材に対し、当時、モーリス・クラフトさん(45)は「私たちは火砕流に大変興味がある。雲仙・普賢岳の映画を作りたい」と話していた。

1991年6月3日の大火砕流の犠牲に
1991年6月3日の大火砕流の犠牲に

夫妻は6月3日の大火砕流の犠牲となり、遺体は定点から約100m上で発見されたのだった。

普賢岳を見つめてクラフト夫妻に想いを馳せた
普賢岳を見つめてクラフト夫妻に想いを馳せた

あれから34年。2人のフランス人も定点を訪れた。当時クラフト夫妻もカメラを向けた普賢岳を見つめ想いを馳せたのだった。

記念館にある「クラフト夫妻の生きた証」

2002年、島原市に災害の記憶を後世に残す「雲仙岳災害記念館」が建てられた。2025年3月にリニューアルし、約7年ぶりに展示の入れ替えを行った。

雲仙岳災害記念館
雲仙岳災害記念館

普賢岳の噴火災害の記憶や教訓を後世に伝えようと最新技術を用いた「体験型」の展示を充実させている。

クラフト夫妻に関するコーナーも
クラフト夫妻に関するコーナーも

2階には、クラフト夫妻に関する展示が新たに設けられた。夫妻が世界各地で撮影した貴重な火山の写真や映像を見ることができる。

夫妻が世界各地で撮影した画像や映像は、フランスの財団が遺族から買い取り、記念館に無償で提供しているのだ。

今回、アンドレ・ドゥメゾンさんと一緒に島原を訪れたのが財団の代表だ。モーリス カティア・クラフト図像コレクション代表のジュリアン・デュモンさん(39)は展示品を見ながら「特に若い世代に、科学や火山に触れて関心を持ってもらうことが大切だと思う」と語った。

2人はクラフト夫妻の「生きた証」を見学した
2人はクラフト夫妻の「生きた証」を見学した

アンドレ・ドゥメゾンさんはクラフト夫妻が手掛けた作品に見入り、「記念館を訪れることができて、クラフト夫妻が制作した作品を見るのは本当に嬉しいこと。展示品を見て、まるで彼らが島原で生きているかのように感じた」と話した。

クラフト夫妻が撮影した映像は「生きた証」だ
クラフト夫妻が撮影した映像は「生きた証」だ

記念館は今後も、夫妻が撮影した画像や映像を定期的に入れ替えて展示する方針だ。

(テレビ長崎)

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