プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績、伝説を德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!

ルーキーイヤーに35勝をあげ、最多勝、最優秀防御率、新人王、沢村賞を獲得した権藤博氏。2年連続最多勝。「権藤、権藤、雨、権藤」と言われたほどの登板過多がたたって投手生活はわずか5年に終わったが、その間に82もの勝ち星を重ねた。引退後は指導者として活躍し、1998年には監督として横浜(現・DeNA)を日本一に導いた名伯楽に徳光和夫が切り込んだ。

【前編からの続き】

目が合ったら「ゴン、行け」でフル回転

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権藤氏は1961年4月9日のプロ初登板で完投勝利をあげると、4月だけで6回先発して4勝、いずれも完投勝利で4月19日の巨人戦ではプロ初完封を達成している。

徳光:
早くもフル回転、“新人・権藤”がいきなりエースですね。

権藤:
狙いはジャイアンツなんですよ。ドラゴンズっていうのは名古屋ですし、親会社が新聞社同士だし、もうとにかく「ジャイアンツには負けるな」、これしかない。私はそれの矢面に立ったんですよ。

5月に入って権藤氏の登板試合はさらに増える。21日の広島とのダブルヘッダーで2試合ともリリーフ登板するなど11試合に登板。4つの完封勝利を含む7勝をあげ、5月終了時点で早くも11勝を記録した。

徳光:
2カ月目までで19試合に登板して11勝4敗。今の常識では考えられないですよね。

権藤:
「ゴン、行け」です。監督と目と目が合ったら「ゴン、行け」。
僕は内野出身ですから4~5球で肩ができあがるんです。

徳光:
そうなんですか。

権藤:
だから、ピッチャー交代のときも、監督が「ピッチャー、権藤」って言ってる間に、私はブルペンに行って3~4球、マウンドに上がって4~5球投げたら、もう肩ができあがるんです。

徳光:
こんな簡単な投手交代はないですね。文字でいうと4文字。「ゴン、行け」ですから(笑)。

6月も10試合に登板しそのうち6回が先発だ。6月11日の巨人戦ダブルヘッダーでは、1試合目に先発し8回投げた後、2試合目もリリーフで4回3分の1を投げている。

権藤:
今は、みんなアイシングっていって、ピッチャーは投げたあと肩を冷やすじゃないですか。だけど、あの頃は第1試合に投げると「おい、肩を冷やすなよ、シャワーで温めとけ」って言われて、シャワーでじーっと温めながら待ってるわけです。
(第2試合は負けていたので)「これで登板はないな」と思ってたら、同点に追いついちゃったもんですから、「ゴン、行け」ですよ。

徳光:
そもそもベンチに入ってることがおかしいんですよ。

権藤:
昔はそんなもんなんですよね。
試合が競ったら投げさせられますから、もういっつも「勝つか負けるかはっきりしてくれ」と思ってましたもん。リードされてたら、「今日は投げることはない」と思って安心してますけど、接戦だったら危ないんですよ。2対0くらいで勝ってるときが一番危ないんです。1点取られて2対1になると「行け」ですよ。目と目が合ったら、顎でしゃくられて…(笑)。

「命まで取られやせん」

当時の中日には他にも2桁勝利をあげている投手がいた。1961年は河村保彦氏が51試合(先発21試合)に登板して13勝13敗、板東英二氏が47試合(先発33試合)に登板して12勝10敗の成績を残している。

権藤:
だけど、とにかく試合が競ったら全部私が行くんですよ。河村や板東が投げてて危なくなると私が行くんですよ。

徳光:
それだけ投げて、肩の疲労とかそういうのはなかったんですか。

権藤:
肩が痛いとか肘が張ってるとかはたまにありましたけど、そういうことを言うと、監督に「何ぃ、肘が痛い? 肩が痛い? たるんどる。命まで取られやせん!」って言われる。あの頃の監督は濃人さんでも水原(茂)さんでも三原(脩)さんでも川上(哲治)さんでも、みんな戦争に行って弾をかいくぐってきてるんですよね。

徳光:
なるほど、そうですね。

権藤:
帰ってきて野球をしてる。だから、「野球ができるだけで最高じゃないか、お前たち」ということなんですよ。

「権藤、権藤、雨、権藤」

1961年7月5日~15日、梅雨時の権藤氏の連投を受け伝説のフレーズが生まれる。
この期間の権藤氏は「完封勝利、雨、移動日、完投勝利、雨、移動日、先発登板、雨、雨、移動日、先発登板」という内容だった。この様子を見て、巨人・堀本律夫投手が記者に「中日には権藤しかピッチャーはおらんのか? 権藤、権藤、雨、移動日、権藤、雨、権藤や」と話し、ここから伝説のフレーズ「権藤、権藤、雨、権藤」が生まれたといわれている。

徳光:
7月はもうほんとに権藤さんのワンマンショーですよね。堀本さんの名言「権藤、権藤、雨、権藤」が出るじゃないですか。この堀本さんの発言はどうでしたかね。

権藤:
いや、これを堀本さんが言ったのかどうかは知りませんけど、その頃は雨が降ったら、もう次は中1日で先発。「そりゃ、投げなきゃいかん」と思ってるわけですよ。「肩が痛い」なんか言ったら、「肩が痛いだ? たるんどる」って、もうそれだけですね。

当時はまだ新幹線が開業していなかったため、移動も現在とは全く違うものだった。

権藤:
名古屋から広島には夜行列車に乗って行くんですよ。名古屋でゲームが夜10時くらいに終わると、夜中1時くらいの夜行列車に乗っていって、翌日朝6時頃に広島に着く。僕はプロに入ってすぐに夜行列車は2等寝台でした。3等寝台は上下に3段あるけど、2等寝台は2段までしかなくて畳1畳くらいの広さがある。

徳光:
ちょっと広いんですね。

権藤:
「こんな良い所では寝られない」と思ったですもん。

徳光:
えっ、良すぎてですか(笑)。

権藤:
ノンプロのときは東京まで行くって言ったら、博多を夕方の5時に出て東京に着くのが次の日の夕方5時。24時間、ガタガタ、ガタガタ。

徳光:
それは3等寝台ですか

権藤:
いや。寝台じゃない。それは乗せてもらえないの。普通の向かい合ってる4人席。だから寝るときは2人が席に座って足を伸ばして、2人は座席の下に下りて新聞を敷いて寝る。

徳光:
えーっ。

権藤:
24時間ゴトゴト、ゴトゴト。神戸くらいになってやっと夜が明けるんです。それに比べれば、夜行寝台で寝て行けるなんてね。もう嬉しくって「こんなところに乗れて」と思って…。

徳光:
そういうことを経験してらっしゃるんだ。そういう意味じゃあ今の選手はほんとに恵まれてますね。

金田氏・村山氏・小山氏との投げ合い

8月には14試合(先発9試合)に登板して8勝(7完投勝利)。球界を代表する投手だった国鉄(現・ヤクルト)の金田正一氏や阪神の村山実氏にも投げ勝っている。

権藤:
カネさんや村山さんでも、「まあ、大丈夫」と思ってましたね。苦手だったのは(阪神の)小山(正明)さんでしたね。

徳光:
そうですか。

権藤:
村山さんとかカネさんと投げ合って1点取られても、「我慢しときゃあ、なんとかひっくり返せる」と思って投げられる。でも小山さんにかかると点が取れないんですよ。

徳光:
小山さんは何が良かったんですか。

権藤:
コントロールが良かったですね。

徳光:
権藤さんだってコントロールは良かったでしょ。

権藤:
いや、アバウトです。ストライクは投げられるけど、上下のピッチャーですから、コーナーを使うようなピッチングじゃないですもんね。

徳光:
なるほど、上と下みたいな。

権藤:
はい。

徳光:
このシーズンは、中日は優勝争いしてましたよね。

権藤:
そうなんですよ。ジャイアンツとデッドヒートです。だから勝っても喜んでる場合じゃないんですよ。ジャイアンツは強いし、一筋縄ではいかんなっていうのはずっと思ってましたね。

この年は巨人が71勝53敗でセ・リーグ優勝をはたす。中日は72勝56敗と勝利数で巨人を上回ったものの2位に終わった。

徳光:
勝ち星でジャイアンツを上回っても残念ながら1ゲーム差で優勝を逃したっていうのは、ルーキーのエースとしては本当に悔しかったんじゃないですか。

権藤:
巨人は70勝した時点で優勝が決まったんですよ。まだ優勝が決まってなかったら、僕はもう1回投げてますから。そうすると36勝したかも分からん。でも勝てなかったら20敗してたかも分からん。35勝20敗。

徳光:
そういうことも言えるわけですね。

権藤:
まだ2試合残ってましたからね。

35勝でタイトル独占も稲尾氏とは差が

権藤氏は1年目、結局69試合に登板し35勝19敗、32完投、12完封、防御率1.70の成績を残した。最多勝、最優秀防御率、沢村賞、新人王を獲得。投球回数429回3分の1は2リーグ制以降最多だ。

徳光:
すごいなぁ。

権藤:
沢村賞と言っても、この頃はセントラルリーグだけなんですよ。

徳光:
そうか。今はプロ野球全体ですもんね。

権藤:
そうだったら、沢村賞は稲尾さんに取られてます。

稲尾氏はこの年、78試合に登板して42勝14敗の成績だった。

権藤:
結局、僕は負けが多いんですよ。

徳光:
それはそうかもしれませんけど…。

権藤:
私は35勝して19敗してるわけです。稲尾さんは42勝で俺より7つ勝ち星が多い。それが俺と稲尾さんの差。だから、稲尾さんにオールスターかなんかで会ったとき、「ゴンも35勝もしたけど、俺が42勝したから目立たなかったんだよね」って。

徳光:
そんなことを(笑)。

権藤:
「目立つとか目立たないとかじゃない。あなたの上に行けるわけないじゃないですか」って。それくらい仲が良かったですけど、稲尾さんはほんとに雲の上の人だったですね。金田さんが400勝っていうけど、稲尾さんは優勝のために投げたんですよね。

徳光:
稲尾さんは優勝のために投げてた。その点、金田さんはちょっと違うかなという。

権藤:
金田さんは毎年ずっと20勝するために投げて、これはこれですごいですけど、やっぱりピッチャーとして尊敬するのは稲尾さんです。「ああなりたい」と思ってね。

翌1962年、権藤氏は61試合に登板し30勝17敗の成績で2年連続の最多勝に輝いた。

握ったまま投げて球を動かす

徳光:
権藤さんは、ほとんど指3本で投げていらしたそうですね。

権藤:
僕ね、ボールの握りはみんな一緒なんですよ。

徳光:
ストレートもカーブも?

球種によって変えることのなかった権藤氏の握り方
球種によって変えることのなかった権藤氏の握り方

権藤:
ええ。ただグリップを変えるだけ。
1年目はカーブとストレートで握りを変えて投げてたんです。だけど、2年目にドン・ニューカムっていうのが来て、「セイムグリップ、同じ握り方にしなさい」って言われて、2年目からは全部同じ握り方です。

ドン・ニューカム
ドン・ニューカム

ドン・ニューカム氏はドジャースなどで活躍しメジャーリーグ10年間で149勝をあげた大投手だ。最多勝、最多奪三振、サイ・ヤング賞などを獲得したこともある。1961年限りで現役を引退していたが、中日の誘いで1962年に打者として来日した。

権藤:
あとは「ボールをムーブさせるために、パッと握ったらそのままで放れ」って。いろいろと握り直すんじゃなくて。

徳光:
面白い。それはどういうことなんですか。

権藤:
ボールを捕ってそのまま投げるとボールが動く。きれいに握って投げるときれいな真っすぐしかいかないじゃないですか。「回転がいい、ナイスボール、ナイスボール」って言いますけど、それってバッターにとっては打ちやすいってことなんですよ。

徳光:
なるほど。

権藤:
あとね、みんな目の錯覚っていうのがあって、素直に投げたら、来た通りにバットをポンと出せば打てる。だけど溜めて投げられると、間合いが合わないんですよ。
だから、大谷(翔平)にも日本にいるときに言ったんです。「素直に投げたら打たれる。ちょっと間をおくことを、キャッチボールのときから練習しなさい」って。そう言ったら、あいつ、ボンボン三振も取れるようになった。
今やアメリカに行っちゃって、時の人ですけどね。

徳光:
アメリカに行く前にそういうお話をしたんですか。

権藤:
WBCの前に言った。「キャッチボールが大事だよ」って。

【後編に続く】

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 25/5/6より)

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