松井秀喜さんの育ての親としても知られた、ミスタープロ野球こと、長嶋茂雄さんが亡くなった。石川県内からも別れを惜しむ声が多く聞かれた。

松井秀喜さんとともに国民栄誉賞
長嶋茂雄さんの訃報を受け、金沢で街の人にインタビューすると、「残念ですね、びっくりしました。」とか、「自分も少し野球をやっていて、長嶋さんを見て野球を始めたので、残念。」と言った、惜しむ声が相次いだ。

読売巨人軍の終身名誉監督、長嶋茂雄さん。石川テレビに残る、一番古い映像は、さかのぼること54年前の1971年。旧兼六園野球場で行われた巨人対ヤクルトの試合。王貞治さんとともに出場した長嶋さんは、見事ホームランを放ち、超満員のスタンドを涌かせていた。


『松井秀喜さん』との師弟愛
元メジャーリーガーの松井秀喜さん。松井さんが星稜高校時代の1992年。2度目の巨人軍監督となった長嶋さんは、ドラフト会議で4球団が1位で指名した松井さんを見事引き当てた。この時、長嶋さんは「魅力が無限に広がるプレーヤーですから、非常時楽しみだ」と話していた。

これに対し、松井さんは当時、「長嶋さんには色々と褒めてもらってすごく感激した。直接クジを引いていただいて感激している」と述べている。

2人で受賞した『国民栄誉賞』
それから21年後の2013年。長嶋さんは、松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受賞した。

この時、輪島市からは記念に輪島塗のバットが送られた。当時、この会場で、直接、長嶋さんとあった輪島商工会議所の前倉弘美さんは、「すごく緊張した。やさしいお顔でお迎えしてもらえた。長嶋さんがバットを受け取った時に喜んでもらった顔が忘れられませんね。」と振り返る。


松井さんとの縁で長嶋さんと親交…山下智茂さん
松井秀喜さんとの縁で長嶋さんと長年、親交のあった星稜高校野球部の名誉監督、山下智茂さんは、突然の訃報に「すごくオーラがあって太陽のような人だった。」と懐かしむ。そして、「本当に憧れの人でしたから、雲の上の人でしたから、松井君のおかげで王さん、長嶋さんと何回も会うことが出来て、僕自身は野球人として、高校野球の監督として本当に幸せ」と話していた。

日本球界で長年にわたり活躍してきた長嶋さんの訃報。街からは悲しみの声が途絶えなかった。ある男性は「寂しい、王の1番、長嶋の3番。夢と希望を与えるそういう存在」と話す人もいれば…。


「日本のプロ野球界の一番のスター、星だった」と話す人も…。読売巨人軍によると、通夜や告別式は近親者のみで執り行われ、後日、お別れの会が開かれるという事だ。
