プロ野球の世界で、今や“常勝軍団”となった福岡ソフトバンクホークス。しかし過去、屈辱的な事件に遭遇していた。
球団史エリアで異彩を放つトピック
2000年代で9度の日本一は、12球団最多を誇る。
その栄光の数々で彩られた『みずほPayPayドーム』の選手通路。球団の歴史が纏められたエリアだ。
このなかに、城島健司CBO(球団チーフベースボールオフィサー)の発案で、ひと際、異彩を放つトピックがある。

それは『生卵事件』。1996年5月9日に発生した屈辱的な事件だ。

「こんなことが本当に会ったということは事実なので。ホークスのユニホームを着てプレーする以上は、こういう歴史を知ったうえで組織にいてもらいたい」と話す城島CBO。
事件があった1996年に生まれたホークスの若きチームリーダー2人。周東佑京選手(30)と栗原陵矢選手(29)。

『生卵』という言葉から何を連想するかと尋ねると「卵かけご飯!」(周東選手)、「すき焼き!」(栗原選手)と最初はおどけた口調で応えていた2人だったが―。

1996年の“事件”を伝えると―。2人はすぐに合点がいった様子だった。
1996年5月9日 大阪・日生球場
“事件”が起きたのは30年前。福岡ダイエーホークス時代。王監督が就任して2年目の1996年だ。

監督就任1年目は5位。2年目もシーズン開幕直後から最下位に沈むんでいたホークス。ファンの鬱憤も限界にまで溜まっていた。

そして迎えた5月9日。かつて本拠だった大阪の地で、屈辱の歴史が刻まれることになる。
大阪・日生球場の近鉄バファローズ戦。その日の試合も2対3でホークスは敗れた。
試合後、選手を乗せたバスを一部のファンが取り囲んだ。「お前らプロか!」と罵声を上げながら押し寄せた。
人波からは「辞めろサダハル」のシュプレヒコール。バスには心ないファンから野球の応援とは無関係な生卵が投げ付けられたのだ。
当時24歳だった小久保裕紀・現ホークス監督は「もう屈辱以外の何ものでもなかった。前日から怪しい雰囲気があって、今でも忘れないが、バスの全部の視界が遮られた。卵の黄身と白身と殻だらけだった」(2021年インタビュー)と当時を振り返る。
「僕は、その時その場にはいなかったけれど、ホークスには在籍していたので、すごく胸が締め付けられた」と当時19歳だった城島CBOは今、その日、胸に去来した思いを口にする。

この出来事が、30年経った今でも語り継がれる理由は、どん底のなかで発した“世界の王”の言葉だった。
忘れられない“世界の王”の言葉
小久保・現監督は、敗戦後のミーティングで語られた当時の王監督の言葉を思い出すという。
「『ああいうファンが本物なんだ。ああいうファンは、勝ったら一番、喜んでくれるんだ。我々にできることは勝つことしかない』。リーダーとして潔く『勝つしかない』と言ったミーティングは、辞めた後も語り継がれている」(2021年インタビュー)。
また、当時、チームのエースだった工藤公康氏(元監督)の胸のなかにも王監督の言葉は残されていた。
「その後ろ姿は、僕にはすごく印象的に残っていて、生卵をぶつけられたことに何か言うわけではなく、一心に前を向いて…、“男の背中”だった。そしてプロの世界は結果が全てというのを背中で見せてくれたように思う」(2021年インタビュー)。
そして、矢面に立っていた王・現会長。“あの日”のことを2019年1月に日本記者クラブでの記者会見で語った。
伝説のミーティングの“後日談”
「あの時、生卵を投げてくれた人たちは、本当に南海時代からのホークスのカチカチのファンなんです。その人たちが真剣に怒った結果が“生卵事件”だったと思う」
「『卵をぶつけられるような野球をやっているのは俺たちなんだ。だからこそ、ぶつけられないようにしよう。あの連中に喜んでもらおうよ』という話を選手たちにしました。我々にとってはいい刺激になったと思います」

さらにこの話には後日談がある。それを城島CBOが話してくれた。
「『彼らには良心があるんだ。球場には生卵は売っていないんだから、近くの公園で石を拾ってきて投げればいい。でもそれが本当に当たったら、ケガするからわざわざ生卵にしたんだ』と、そう言える、この時にチームを率いた王さん、僕には言えない言葉だと思って…、それが人間『王貞治』を象徴する言葉だと思う。男が男に惚れる。僕はこんな監督に、人間になれないなと思える言葉だった」。
そしてホークスはその3年後、日本一に輝いたのだ。

あれから30年。生卵を投げた当事者の1人が、テレビ西日本のカメラの前で、その重い口を開いた。

※後半に続く―。
(テレビ西日本)
