去年、2度の大災害に見舞われた能登。苦しむふるさとを大の里が忘れたことはなかった。そんな大の里と能登との繋がりを取材した。

初土俵を終えたばかりの2月に能登を訪れる

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2024年2月。初場所を終えたばかりの大の里は、遠藤や輝など石川出身力士たちと共に避難所を訪問していた。その時、大の里関は「僕の母親が内灘町出身でこうやって来れてうれしく思います」と話していた。その母方の祖父からは「久々で照れくさいわ。次頑張らんと」と声をかけられていた。

初土俵の場所後に慰問に訪れた大の里
初土俵の場所後に慰問に訪れた大の里

初優勝後のお国入りでいの一番に駆けつけたのは『避難所』

それから4カ月、初優勝後のお国入りで、大の里はいの一番に、金沢市にある避難所を訪問。被災した人たちと交流を続けてきた。

いの一番に被災者の元へ
いの一番に被災者の元へ

その後、異例のスピード出世で全国的にも人気力士となり、休むまもなく相撲を取り続けてきた大の里。そんな中でも…大の里は、「2024年3月の大阪場所が終わった後にお忍びで石川の能登に慰問に行きまして…」実は、大の里、3度目の優勝を果たした直後の今年3月下旬、極秘で能登を訪れていたというのだ。

3度目の優勝後…忙しい合間を縫って奥能登へ

極秘に能登へ すずなり食堂提供
極秘に能登へ すずなり食堂提供

珠洲市にあるすずなり食堂もそのうちの一つ。和田丈太郎料理長は、その時の様子について「みんなもう大喜びでした。女性スタッフがキャーキャーって大変でした。優しい感じでニコニコっとして、笑顔ですごい素敵な方でした。」と、振り返る。

大の里にとって、震災後、初めての珠洲訪問だった。実は大の里、能登半島地震発生後、能登に行けなかった間でも支援を続けていのだ。すずキッチンの坂本信子さんは、「避難所弁当という弁当を珠洲市民の方に作っていたんですけど、そこでお米2トンを贈っていただいて「能登のために使ってください」という言葉と共に来ましたので、本当にうれしいなと思ってなかなか公表はできなかったんですけど…」と明かしてくれた。

被災地に行けなくても…被災地に初優勝でもらった米2トンを贈る

大の里は初優勝でもらった米を能登へ寄贈
大の里は初優勝でもらった米を能登へ寄贈

地震直後から避難した人たちのため弁当を作り続けていた坂本さんたちのグループ。大の里は初優勝の時にもらった米を、贈ったというのだ。

坂本さんは、「地震の後にみんなで一緒になって「良かったね!」って言えることがなかなか少ないので、本当に横綱になってくれてうれしいです。」と喜んでいた。

「被災地に明るいニュースを届けたい」言葉通りに大の里は有言実行

大の里関
大の里関

常々、ふるさと石川県や被災地に明るいニュースを届けたいと話していた大の里。二場所連続優勝に横綱昇進というとてつもなく明るいニュースを被災地に届けてくれたのだ。

大の里は、私たちのインタビューに対し次のように答えていた。
大の里:
今場所の15日間を見てくれていたと思うので、自分自身は3月末に足を運んでいって次の場所で優勝した姿を届けることができて本当に最高なことができたと思いますね。

(石川テレビ)

石川テレビ
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